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なので他の写真から確認した限り零戦五二型でありこの写真だけが作り物であるという可能性はまずないと思います。
その度ごとに宣伝もされていますし一連の里帰り飛行をした零戦がアメリカのプレーンズオブフェイム博物館の零戦五二型であることは世界中の零戦好きの人たちの間では良く知られた話ですし。
ということです。
同じ零戦五二型が後の1995年に再度里帰り飛行をした際の写真、茨城県の竜ヶ崎飛行場での模様の写真を一枚にまとめたものを貼ります。
この時、一緒にアメリカのノースアメリカンP51Dムスタングも来日しており一緒の飛行する姿を披露していました。
零戦五二型とP51Dムスタングが同じラインに並び同時にスタートして離陸するところを披露していました。
左端の写真は同時スタート離陸後わずか数秒後の状態です、P51Dムスタングはまだまだ地上滑走中ですが、零戦五二型は既に高く舞い上がっていて両機の高度差は既に30mは優に超えています。
真ん中の写真は上空でP51Dムスタングの後方に着いた零戦五二型の写真。
右端の写真はP51Dムスタングの後方に着き低空飛行で飛んで行く零戦五二型。
零戦はどのアメリカ軍戦闘機に後方に着かれても一周旋回すると敵戦闘機との同時旋回であっても一周し終わる頃には逆に敵戦闘機の後方に着くことが出来、形勢を逆転出来たといいます。
最大速度での競走ではアメリカ軍戦闘機に負けていましたが、零戦はアメリカ軍戦闘機よりも身軽で旋回性能が桁外れだったことを如実に物語っています。
太平洋戦争の後半はアメリカ軍戦闘機が速い最大速度を利用して急接近し撃っては逃げる急接近し撃っては逃げるを繰り返し、まともな空中戦を挑まなくなったため零戦の特技は活かせなくなりました。