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戦争も末期だったためか普通なら日本陸軍の場合はキ番号を付けて○○式戦闘機の後に名前が名付けられるのですが、これには名前が名付けられませんでした。
名付ける余裕がないくらい日常的に街や工場など日本全体が敵の空襲に曝され戦況が相当逼迫していたことが感じ取れます。
同盟国ドイツでは国全体が日常的に敵の爆撃に曝されていたため地下に工場を作りそこで戦闘機や戦車などの兵器を大量生産していたらしいですが。
キ100五式戦闘機は元々は前面面積が小さい液冷式エンジンを搭載するのに合わせて作られた細い胴体の機体でした。
そこに前面面積の大きな空冷式星型エンジンを装着しようとしたのだから単にエンジンを積み換えるといっても簡単ではありませんでした。
エンジンと胴体機首接合部分と排気管の処理や全体的な外形の処理にはドイツからサンプル機として輸入していたフォッケウルフFw190A戦闘機の機体各部の処理方法が大変参考になったといわれています。
こうして急降下速度850km/hでも空中分解しない頑丈な機体でアスペクト比の高い(縦横比が高く細長く翼幅は広い)主翼という飛燕譲りのタフな機体に馬力も高く信頼性も高い空冷式星型エンジンを組み合わせたことにより最優秀戦闘機と呼ばれたあのノースアメリカンP51ムスタング戦闘機をも鴨にしてしまうような傑作戦闘機 キ100五式戦闘機が生まれたのでした。
今でもイギリスのダックスフォードにある博物館には世界中で唯一1機だけキ100五式戦闘機が保存屋内展示されています。
飛行はさせないそうですが、エンジンは定期的に動かしていて稼働可能に保たれているそうです。