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昔々、日本に宣教師フランシスコ・ザビエルが訪れた頃、日本ではいろいろな物事に好奇心や探究心を持った人々が多いことに宣教師たちは目をみはり驚いたといいます。
それは殿様や武士、商人から職人や百姓などの庶民に至るまで同様だったといいます。
すべては
それは何?
どうやって使うの?
どんな仕組みなの?
どうやって作るの?
といった具合で好奇心の塊のような民族に映ったようです。
日本人には元々そういう素地があったため西洋の列強国が鉄砲を持って来ようが蒸気船を持って来ようが、直ぐに技術を吸収し同じような物を作り出し使いこなしたのでした。
同じ頃に朝鮮を訪れた宣教師たちは日本での印象とは対称的にその多くは「立ち遅れていて何も得るところが無い」という類いのことを書き残しているようです。
昔々から民族性の違いは歴然としていたようです。

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