日本の名馬図鑑
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エアグルーヴ:生涯成績 19戦9勝
1997年JRA賞年度代表馬。
これは牝馬としては26年振りの快挙であった。
1997年の天皇賞(秋)を牝馬として17年ぶりに制するなど牡馬と互角以上に戦ってみせた。
そのため「女帝」とも呼ばれる。
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テンポイント:生涯成績 18戦11勝
額の流星と美しい栗毛から「流星の貴公子」と呼ばれた悲劇の名馬。
第22回有馬記念では宿命のライバル、トウショウボーイを破り優勝。
その後海外遠征が企画されたが、その壮行レースで骨折。
43日間に渡る治療の甲斐なく死亡した。
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オグリキャップ:生涯成績 32戦22勝
「平成三強」の一頭であり第2次競馬ブームの立役者。
その人気はハイセイコーに匹敵すると言われた。
ラストランとなった1990年の有馬記念で有終の美を飾り、その走りは「奇跡の復活」「感動のラストラン」と讃えられた。
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トウメイ:生涯成績 31戦16勝
1971年天皇賞(秋)と有馬記念を連勝して史上初の牝馬の啓衆社賞年度代表馬に選出された名牝。
馬名の由来は「メイトウ(名刀、銘刀)」で
申請したところ却下されたため、メイとトウをひっくり返して申請した。
代表産駒に天皇賞馬テンメイがいる。
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タケシバオー:生涯成績 29戦16勝
芝、ダート、距離、馬場の状態などあらゆるファクターを苦にしなかったオールマイティホース。
芝、ダート両方でレコードを出し、1200mから3200まで勝利したまさに「怪物」である。
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ハイセイコー:生涯成績 22戦13勝
第一次競馬ブームの立役者であり、1970年代の国民的アイドルホース。
種牡馬としても内国産馬不遇の時代にもかかわらずハクタイセイなどを出した。
ハイセイコーの墓には「人々に感銘を与えた名馬、ここに眠る」と刻まれている。