• 7万次郎
    2013/11/13(水) 12:52:30 ID:jWA39U5EO
    五箇伝
    作刀における五大流派のことで。江戸時代に刀剣鑑定の規準とするために分類されました。日本刀には古来主要な五つの生産地があり、その土地の名前を取って○○伝と称します。
    大和伝
    大和地方の刀工集団による鍛法。古来日本の中心地であった大和地方は日本の刀工発祥の地とされており、奈良時代の無銘の刀剣は彼らの手によるものと考えられます。
    千手院派、尻懸派、當麻派、手・派、保昌派の大和五派を擁す。
    山城伝
    山城地方の刀工集団による鍛法。発祥について当時の史料は残っていませんが、山城国が平安京遷都によって日本の中心地となった際、刀工集団も移住、発生したはずとされています。
    刀工としては、国宝「三日月宗近」の三条小鍛冶宗近、「鬼丸」の国綱などがいます。来国行、来国俊ら来一派も山城伝の刀工ですね。
    備前伝
    備前地方の刀工集団による鍛法。中国山地は古代より良質の砂鉄の産地であり、現代の刀工が使う玉鋼も、島根県のタタラ製鉄所で製造されているほどです。また、その他刀剣製作に必要な条件にも恵まれており、備前地方は長く刀剣類の巨大生産地であり続けました。特に中心地であった長船は名高く、「備前長船」は現代でもビッグネームであり。また、鍛冶の為に木を切りすぎて洪水で壊滅したことでも有名ですね
    古備前友成、兼光、福岡一文字則宗、祐定、則光などが有名。佐々木小次郎の「物干竿」は備前長船長光の作とも伝わっていますね、。
    相州伝
    五箇伝の中では最も新しい、相模地方の刀工集団による鍛法。相模国鎌倉は鎌倉幕府の中心地であり、鎌倉中期に各地の刀工たちが移住してきた記録が残っています。鎌倉末期には正宗(五郎入道正宗とも)を輩出し、彼の作風は、後の相州伝の基本となり。ゆえに正宗が相州伝の完成者とされています。

    美濃伝
    美濃地方の刀工集団による鍛法。鎌倉中期(弘長年間)に良質の焼刃土を求めて九州から移住した元重に始まるとされています、特に美濃国関には多数の刀工が興り、現在でも関市は刃物の産地として世界的に有名ですね。
    「関の孫六」こと2代兼元、「之定」こと兼定が特に有名です。
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