• 840名無しさん
    2016/04/11(月) 11:52:52 ID:dfLF.EjEO
    太平洋戦争中のニ式大艇までは信頼性のある周辺機器や部品が現在に比べれば作れなかったため陸上からの離発着は出来ませんでしたので水上からの離発着のみの運用しか出来ませんでした。
    しかし戦後の日本では平和になり自由な輸出入が出来るようになり材料の品質も良くなり信頼性ある周辺機器や部品が作れるようになりました。
    これによりPS-1以降US-1、US-2においては水上からの離発着だけではなく陸上からの離発着も問題なく行えるようになりました。
    実際に陸上でも水上でも離発着を見れば四発旅客機ほどの大きな機体なのに驚くほど短い距離で実施出来ている現実に圧巻です。
    単座のジェット戦闘機よりも遥かに短い距離ですべてが終了することに自分の目を疑うほどでした。

    写真は
    ・船の科学館にあった頃のニ式大艇
    です。

    当時の日本人が血の滲む努力で作り上げ日本のために太平洋戦争を戦ったニ式大艇の向こうでは平和になった世の中でプールでの海水浴を楽しむ大勢の家族連れや若者たちが収まった一枚の写真。
    良くも悪くも戦後の日本を象徴するかのような貴重な一枚です。

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