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    2014/01/01(水) 23:17:25 ID:3DxlZPtki
    全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
    つめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
    この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの
    中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、
    相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。
    しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じる
    もの(自我仮説に対する相補)で、根源的に絶対化しようとすると、
    元の無限不確定性に発散します。

    実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対に
    よってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
    客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
    認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
    その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの
    収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
    認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説
    =宇宙を認識します。

    即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として
    生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、
    存在は生じていると言えます。
    無いとは分からない事が有なのです。
    だから「その外」や「その前」は、何もなくて当然です。
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