• 112権兵衛
    2014/01/12(日) 11:43:06 ID:QCXM6B9kO
    ほな銃器の話が出たところで零戦の機銃に付いてウンチクを言うたろかいな。日本海軍が選定、採用したエリコン20ミリ銃に対しての批判は著名な零戦搭乗員 であった坂井三郎氏による発言が影響しとる訳やな。
    低伸弾道で60発の弾丸しか搭載できない20ミリ機銃は戦闘機用としては欠陥品扱いに近い旨の発言が見られたけど、海軍戦闘機の主要兵器として順次、改良されて行き、二号艦戦、則ち零戦32型に搭載された二号20ミリ銃は現地部隊より破壊力大と評価され、より高速化した零戦32型と共にその部隊配備を切望されていたんやな。
    防弾強固な米軍機に対しては炸裂弾の装備された20ミリ銃が最適だと思われ又、零戦の開発目的は巷で言われような長距離進攻用では無く実際は艦隊上空を長時間、哨戒及び来襲敵機を迎撃する旨で開発されたのは前回で説明したけど、その要項には高速化した敵攻撃機には破壊力の大なる20ミリ銃を持って要撃するとああったんやな。これは先見の目があり、大戦後半の特攻作戦で防弾装備された特攻機への迎撃で米軍装備の12.7ミリ銃では有効弾を与えてもそのまま突撃するので威力不足が報告されいたんやな。
    一方、本家のエリコン社でも実現、出来なかったベルト給弾化を実用化した日本海軍は20ミリ銃を有効な兵器と認識していたので逐次、改良を加え優秀な航空機関銃として育成、正常進化させたんや。

    台南空やラバウル基地の専任搭乗員(士官以下の搭乗員の長)であった坂井三郎はガダルカナル進攻作戦で片目失明の重傷を負いながらも辛うじてラバウル基地に帰投したその不屈の精神力は評価に値するも、それ以降の激化する米軍機との死闘は経験しておらず内地で入院加療中の間に零戦は32型、22型、52型と移行しそのつど戦闘力を強化して行ったけど、退院後に再び搭乗員として復帰し零戦52型を操縦した時の所見では、運動性が低下し零戦本来の戦闘力が損なわれたとの事やったんやな。
    しかし空戦の実相は高性能化する米軍機に対し21型では抗し難く早期に二号20ミリ機銃搭載の52型の部隊配備を切望するとの意見が部隊から出てたんや。
    その後、雷電や紫電改に搭載された99式二号20ミリ機銃は逐次改良を加えられエリコン式では日本海軍だけが実現させたベルト給弾により一門、250発の搭載が可能となり防弾強固な米重爆にとっても、炸裂弾装備の20ミリ4門の射線は脅威そのものやったんや。
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