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    2014/03/13(木) 10:49:40 ID:A7F0UKusO
    ヘルシアさん、おはようございます。(゚▽゚)/
    日本が太平洋戦争に敗戦した後、日本を占領したアメリカは日本への戦後政策として「再び日本が好き勝手に戦争を始めないように」という策略から
    ・日本が持っていた兵器の破壊。
    ・日本の兵器に関わる工場や生産設備の破壊。
    ・日本の優れた技術者や権威のある有識者の公職からの追放。
    ・日本の大手メーカー、財閥の解体。
    ・アメリカによる現在の平和憲法の押し付け。
    を行いました。
    これにより様々な制約を受けたため戦闘機などを作っていた技術者たちも職を失い仕方なく鍋や釜を作って生活を食いつないでいました。
    アメリカから禁止された物以外でと考えスクーターや自動車(最初の頃の開発車としてはスバル360ccが有名ですね)を作り始め、それを足掛かりに富士重工やその関連会社が出来、また寄せ集まって富士重工グループが出来上がったというところですね。
    富士重工は現在では航空機開発から宇宙開発まで手掛けておりスバルは富士重工の自動車部門にあたる会社になります。
    戦時中に中島飛行機㈱が戦闘機を量産していた跡地に現在のスバルの自動車生産工場もあります。


    話変わって空母翔鶴の二番艦が瑞鶴ですが、翔鶴は武勲艦と呼ばれていた一方で瑞鶴は不運なことが多く被害担当艦などと呼ばれることもありました。
    そして敵艦隊の目を逸らす目的で囮部隊として出撃する羽目になり沈んで行きました。
    まだ幼顔の若い兵士が片道切符で敵艦に体当たりなんてとても悲しいですね。


    ヘルシアさんの動画、戦艦大和の主砲発射シーン、これは主砲による対空射撃なので三式焼霰弾による敵機編隊への射撃だと思いますよ。
    46cm砲弾の中に内蔵した無数の焼夷弾子による霰弾攻撃です。
    密集体系で飛行して来る敵航空機編隊に効果的だとして日本海軍の巡洋艦や戦艦の主砲に採用された装備でした。
    その三式焼霰弾の写真と三式焼霰弾の炸裂の様子を記録した資料写真を貼りますね。
    それからこの時期(大和の沖縄特攻時)のアメリカ海軍空母の主な艦載機の写真も貼りますね。
    上からグラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機、グラマンTBF/TBMアベンジャー艦上攻撃機、カーチスSB2Cヘルダイバー艦上爆撃機です。
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