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    2014/03/30(日) 08:18:47 ID:nZE5Y/Z.O
    マチルダというイギリス軍の戦車は模型化販売された戦車のプラモデルやアニメの登場人物名(機動戦士ガンダム)の影響で知った人が多いと思われますがマチルダMk.ⅠよりもマチルダMk.Ⅱの方が知名度が高いです。
    第二次大戦前半戦でドイツ軍が撃破するのに苦労したマチルダMk.Ⅰは元々当時のドイツ軍が持っていた戦車より装甲板が分厚く防御力には定評がある戦車でした。
    その後、北アフリカ戦線でもこのマチルダMk.Ⅰの発展改良型であるマチルダMk.Ⅱがドイツ軍の前に現れ、また苦戦を強いられることとなりました。
    マチルダMk.Ⅱも装甲板が分厚く防御力が強力だったのでした。
    この時もドイツ軍は88mm高射砲の水平撃ちの貫通力に助けられ、なんとかマチルダMk.Ⅱを撃破することが出来ました。
    蛇足ですが、この頃のイギリス軍戦車は徹甲弾しか使っておらず、ドイツ軍戦車は徹甲弾と徹甲榴弾を使っていました。
    徹甲弾とは敵戦車の装甲板を貫通させるのが目的の砲弾、徹甲榴弾とは敵戦車の装甲板を貫通した後に炸裂し内部を破壊する目的の砲弾。
    その関係上、ドイツ軍に破壊されたイギリス軍戦車は再利用が出来ない。
    一方、イギリス軍に破壊されたドイツ軍戦車は装甲板に穴が空き乗員が死傷しても再利用が可能だという変な現象が起きていました。
    なんだか間の抜けた話のようですが、これで両軍の戦力バランスがちょうどとれていたようです。
    第一次大戦で世界初の近代的戦車を戦場に送り出したイギリスも第二次大戦のほとんどの期間は戦車開発に関しては良いものに恵まれず失敗作続きが長く続きました。
    伝統を重んじるイギリスでは陸軍の場合は兵士が主役であり戦車は兵士を助ける協力者であるとする保守派が根強く、まともな対戦車戦闘用戦車はなかなか生み出されませんでした。
    だから当時のイギリス製戦車の大半は歩兵直協戦車や巡航戦車などという名前が付く戦車ばかりです。
    戦闘の主役を演じる本格的な対戦車用戦車を誕生させてしまえば歩兵の仕事が奪われてしまうという考え方が保守派勢力に働いた結果、兵器開発の進歩を邪魔する結果を生み出したのでした。
    この現象は同じ頃の日本の陸軍内部にもあり日本製戦車の開発発展を大いに邪魔し貧弱な戦車しか作れない状態を生み出してしまっていました。
    当時のアメリカ製戦車と並んだだけで子供みたいにしか見えない貧弱な日本製戦車はブリキの棺桶とあだ名される始末となりました。
    今の社会でもどこの集団でも大いにいえることとして新しいものが入って来る際にスムーズに導入されるかどうかはその集団が革新派が多いか保守派が多いか次第に左右されるということです。
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