ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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2014/05/02(金) 23:01:49 ID:
84aReOc2O
他にもあります、もう退役しましたが宇宙と地上との間を頻繁に往復する唯一の乗り物として世界中に名を馳せたアメリカのスペースシャトルも元を辿ればナチスドイツの先進技術の恩恵の賜物でした。
ナチスドイツのアレキサンダー・リピッシュ博士(彼は人類史上最初で最後のロケット戦闘機メッサーシュミットMe163コメート〔彗星の意味〕の機体設計にも大きな役割を果たした人物)が作ったDM-1という無尾翼の実験飛翔体とその設計を受け継ぎ作られる予定だったP.13aジェット戦闘機。
アメリカはこの先進技術を元にリフティングボディと呼ばれる滑空飛翔体の実験機などを作り研究を重ねスペースシャトルを実現しました。
それからスペースシャトルの構想自体、第二次大戦終結後にドイツからアメリカへ渡ったヴェルナー・フォン・ブラウン博士の発想そのものであり彼なくしては実現出来ないものでした。
アポロの月面着陸も実は彼がアメリカに居て協力したからこそ実現出来た偉業でした。(事実アメリカ人だけのプロジェクトチームでは失敗を繰り返していました)
参考資料として
・DM-1の写真。
・DM-1とP.13aの模型。
・P.13aの模型(後部)。
を貼りますね。
P.13aは画像を見ても判る通りこの時代に既にラムジェットエンジンと二次元式ジェットノズルを使い最大速度1650km/hを目指して開発されようとしていました。
アメリカではオリジナルのジェットエンジンは一つも持っておらず、辛うじてベルP59エアラコメットがイギリスのパワージェットW.1遠心式ジェットエンジンを手に入れ少改良を施したものを使いやっとのことで690km/h前後の最大速度を出したばかりの時代でした。(ジェット機なのにプロペラ機のノースアメリカンP51ムスタングにも負ける最大速度でしかありませんでした)
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ナチスドイツのアレキサンダー・リピッシュ博士(彼は人類史上最初で最後のロケット戦闘機メッサーシュミットMe163コメート〔彗星の意味〕の機体設計にも大きな役割を果たした人物)が作ったDM-1という無尾翼の実験飛翔体とその設計を受け継ぎ作られる予定だったP.13aジェット戦闘機。
アメリカはこの先進技術を元にリフティングボディと呼ばれる滑空飛翔体の実験機などを作り研究を重ねスペースシャトルを実現しました。
それからスペースシャトルの構想自体、第二次大戦終結後にドイツからアメリカへ渡ったヴェルナー・フォン・ブラウン博士の発想そのものであり彼なくしては実現出来ないものでした。
アポロの月面着陸も実は彼がアメリカに居て協力したからこそ実現出来た偉業でした。(事実アメリカ人だけのプロジェクトチームでは失敗を繰り返していました)
参考資料として
・DM-1の写真。
・DM-1とP.13aの模型。
・P.13aの模型(後部)。
を貼りますね。
P.13aは画像を見ても判る通りこの時代に既にラムジェットエンジンと二次元式ジェットノズルを使い最大速度1650km/hを目指して開発されようとしていました。
アメリカではオリジナルのジェットエンジンは一つも持っておらず、辛うじてベルP59エアラコメットがイギリスのパワージェットW.1遠心式ジェットエンジンを手に入れ少改良を施したものを使いやっとのことで690km/h前後の最大速度を出したばかりの時代でした。(ジェット機なのにプロペラ機のノースアメリカンP51ムスタングにも負ける最大速度でしかありませんでした)