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    2013/12/19(木) 21:55:10 ID:ZCJoYDOgO
    零戦各型のほとんど大半は中島飛行機製の栄エンジンを使用していました。
    栄エンジンは複列星型14気筒空冷エンジンで千馬力級エンジンでは信頼性は非常に高いエンジンでした。
    太平洋戦争の前半の零戦の敵戦闘機は千馬力級エンジン戦闘機ばかりでしたが、その後続々と現れた敵戦闘機は軒並み二千馬力級エンジンの戦闘機ばかりでエンジンパワーの差という面で非常に苦戦を強いられました。
    日本の二千馬力級エンジンとして過度の期待を背負わされたのが海軍の紫電改、陸軍の疾風に使われて有名だった中島飛行機製の誉エンジンでした。
    誉エンジンは傑作であった栄エンジンをベースにして作り上げられた複列星型18気筒空冷エンジンでした。
    誉エンジンの最大の売りは千馬力級エンジンとあまり変わらない小さな直径なのに二千馬力級の力が出せるエンジンであるということでした。
    だから同じ二千馬力級エンジン戦闘機でも誉エンジンを使用した日本の戦闘機はアメリカ製戦闘機よりも前面面積を小さくすることが可能となっていました。
    ただ問題点はハイオク仕様だった点です。
    日本の技術者たちは軍部に対して誉エンジンが素晴らしい動力性能を出すためにはオクタン価の高い燃料が必要不可欠ですよと散々釘を刺していました。
    しかし、技術者たちの説明は良く理解しないままにカタログデータのみに目を奪われ誉エンジンに惚れ込んでしまった軍上層部は造る軍用機、造る軍用機にとにかく誉エンジンを積みたがり誉を積め誉を積めと命令しました。
    規定の環境をちゃんと整えた上で正しく運用された場合は誉エンジンは素晴らしい性能を発揮出来るエンジンでしたが、戦局は悪化し燃料は元より物資は急速に不足していく中、規定された環境など整えられるはずもなく誉エンジンを積んだ軍用機は軒並み故障や不調が多発し大混乱となりました。
    これはひとえに甘い見識しかなかった軍上層部の責任でした。
    いかに高性能な物でも指揮する者が愚かなら台なしになる実例でした。
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