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アメリカのノースアメリカンP51Dムスタングも層流翼を採用していました。
当時はまだ弱小の新興航空機メーカーでしかなかったノースアメリカン社がその後の社運を賭けて作り出したムスタングはまだムスタングという名前は付いておらずA36という地上攻撃機でした。
戦闘機としては使い物にならないスピードと搭載量だけが取り柄の粗い航空機でした。
名前はアパッチと名付けられました。
この航空機がサラブレッドの如く生まれ変わったのはエンジンをイギリスのロールスロイス・マーリンエンジンのアメリカでのライセンス生産品パッカード・マーリンエンジンに交換したことが最大の要因でしょう。
他にもラジエーター配置やその形状の表面処理、水滴型風防の採用などいろいろありますが、見違えるようなメジャー戦闘機になったのはP51のD型以降のことでした。
水滴型風防に改造し全周視界が得られたことは良かったのですが、地上滑走時を含め飛行安定性が悪くなり垂直尾翼の前にドーサルフィンを追加装着することで何とか対応しました。
ちなみにP51Dムスタングを作り出したのはアメリカに移住したドイツ人です。
P51Dムスタング誕生の地はアメリカ合衆国ですが設計したのはドイツ人そしてサラブレッドに生まれ変わるためのたくさんのアドバイスと協力をしたのはイギリス人でした。
P51Dムスタングのことを生っ粋のアメリカ的戦闘機だと自負するアメリカ人はたくさん居ますが実は誕生の経緯から何から何までアメリカ以外のドイツやイギリスが大きなウェイトを占めた形で作り出されたのが世界的ベストセラー戦闘機となったP51Dムスタングだったのでした。
同じ第二次大戦時期の他のアメリカ製戦闘機と比較すると妙にアメリカ的ではないでしょう?
豪快に造るアメリカ的戦闘機に対しP51Dムスタングだけ妙に緻密で繊細なのはそういう理由があったからでした。
設計者のエドカー・シュミットはドイツに居た時はドイツの戦闘機メーカーで戦闘機の設計をやっていました。

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