• 59権兵衛
    2013/12/20(金) 10:06:04 ID:100Y/LYMO
    まぁ一言でいうと戦前の日本の科学技術は高レベルの設計が出来たけど、材料や周辺技術がそれに追従する事が難しかったので額面通りの性能が発揮、出来んかったと言う事やな。 零戦の開発時は日本の航空技術は凄まじい勢いで発展している過程にあり、お手本になるアメリカの航空機技術を必死に学び取り、そこから更に高レベルなものへと発展さしたんやな。
    機体に用いられた部材にも超々ジュラルミンと言うそれまでの米軍規格の航空機材料より格段に優れた強度のジュラルミンを住友金属の技術者が開発に成功し、それが零戦の軽量化に貢献したんやな。
    エンジンもアメリカのプラット&ホイットニー製を参考に同時期のアメリカ製より先進的な構造と高品質な材料が使われ、アメリカ製を参考に劣化コピーならぬ進化コピーとも言うべき高いレベルやったんや。
    また零戦の開発当時、航空機産業に従事する人は極めて優秀な人材で、日本人特有の職人肌とより高度な技術に挑む真摯な姿勢が零戦を誕生させた訳やな。
    アメリカの技術を急速に吸収し、一時期ではあるが米軍の戦闘機より優れた性能を誇ったのが零戦の真の姿やな。
    余談ながら初期の零戦にはアメリカ製の部品が使われた箇所もあり、機体の構造自体もアメリカの技術を吸収、発展させ更に高いレベルに昇華させたものやな。
    燃料もアメリカ製の92オクタン価ガソリンがベストでエンジンオイルに至ってはテキサコ社製オイルを使用する旨が取り扱い説明文に記載されとったんやな。
    終戦により零戦の全てが途絶したように思えるけど、実は当時、零戦の重要部品を開発したメーカーや下請け会社は平成の現在に至り未だに操業している所も多くあり、自分達が普段、使っている生活用品に零戦の技術的な系譜が脈々と受け継ぐがれているんやな。
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