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    2014/08/10(日) 09:17:49 ID:IEbkIjbQO
    皆さん、お早うございます。

    欧米列強国に追い付き追い越せの勢いのもとに日本が近代国家へと歩み始めてから日本人が作り出し世界に知らしめた代表作として零戦と並んで有名な存在、戦艦大和関連写真を貼りますね。
    ・昭和20年4月6日 09:45頃、徳山湾上空高度9100mから米軍偵察機(B29F13)により撮影された沖縄特攻直前も直前の戦艦大和とその護衛艦艇(軽巡洋艦矢矧と駆逐艦群)です。
    ・同じ偵察写真の中から戦艦大和の様子をピックアップして引き伸ばし拡大した写真です。(艦橋付近の左舷側に居るのは物資運搬用貨物船、三番主砲塔付近の左舷側に居るのは内火艇、そのそばを移動中のものはランチです。)
    沖縄特攻直前の無傷な戦艦大和の最後の姿です。
    ・これらの戦術偵察写真を撮影したB29F13の同型機の写真です。(B29を偵察機に転用したものです。)
    当時のアメリカ軍はこれだけの優れた情報収集能力がありながらも大和級戦艦のことを排水量40000t程度の戦艦で主砲も16インチ砲だとしか思っていませんでした。
    実際には排水量は70000t前後で主砲は18インチ砲だったのですが、アメリカ人がそれを知ったのは戦後しばらくしてからのことでした。
    出来るだけコンパクトな船体に最大限の砲力と防御力を搭載するという設計陳の努力と関わった人たちの機密保持の努力の賜物でしょう。
    アメリカ人はまんまと欺かれていたわけです。
    実際に戦艦同士での撃ち合いは実現しませんでしたが、日本を過小評価したアメリカ軍が戦艦で対戦していたら(当時のアメリカ海軍の戦艦はどの艦も装甲は大和級より薄く主砲は16インチ砲しか装備していませんでしたから)大損害を被っていたことでしょう。
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