• 51権兵衛
    2013/12/19(木) 06:58:32 ID:18LfwxgsO
    零戦の機体に描かれた二本の白線は編隊長機の印しで味方機からも視認良好ながら、敵機からは格好の目標にされるので熟練指揮官が搭乗する場合が多かったんやな。
    写真の疾風はアメリカより購入した後、長い間、宇都宮市の富士重工業に保管され、この時に飛行第47戦隊の整備隊長であった刈谷陸軍大尉が同機を点検したところ、簡単な整備でフライアブリ状態になるとの判断やった。
    しかし経年劣化の対策が行われないまま飛行不可となったのは至極残念やな。
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  • 56名無しさん
    2013/12/19(木) 23:50:13 ID:18LfwxgsO
    誉型エンジンは、栄型エンジンをベースにクランクケースの大きさをそのままで、14気筒から18気筒化した為にエンジンの各部品の配置に多少無理が生じ整備性に難点があり、これが稼働率低下の一因でもあった訳やな。
    燃料に関しては開発当時、海軍は100オクタン価のガソリン供給を約束していた為に設計時にその事を前提に開発したけど
    諸事情により95オクタン価の燃料しか供給、出来なくなり、機械的にオクタン価を上げる為、水メタノール噴射装置により燃料問題に対応したんやな。
    出力アップには加給器のブースト圧を上げる必要があり、これにより燃焼室が高温になりプラグの点火前に異常爆発するデトネーション発生を抑制する為により耐爆性の強い高オクタン価の燃焼が不可欠となる訳やな。
    巷の燃焼事情の解説では日本は戦争後半にガソリンの質が低下していった事になってるけど実相は年を追ってオクタン価が向上していき全ての誉型エンジンには95オクタン価の燃料が供給されていたんやな。但し南方からの原油の供給が絶望的になった戦争後半には燃料節約の為に練習機等には低オクタン価燃料を用い、実用機の高オクタン価燃料の温存に努めていたんやな。
    必要な燃料は在庫していたけど供給の望みが無い為に小出しに使っていた訳や。 但し航空燃料より遥かに消費量の多い艦船用燃料は枯渇していたけど、日本は艦船が全滅に近い状態であったからまぁ問題にはならんかったんやな。
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