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余談ですが、の歴史カテゴリーで、私が万次郎ハンネで投稿している時に、
私を擁護して頂き、大好きな方で
その方のハンネは「下石」さん でした、
雰囲気が何となく、権兵衛さんに似ています
まちがってたらごめんなさい、 -
権兵衛さん、私の勘違いで失礼しました
戦後半世紀以上たった現在の 我が国の発展は
零戦の技術者達の発想が脈々と引き継がれ、
コンニチに至るわけですね、
私は小学生のころ、
アメリカは 自動車の生産国としては、世界一と
習いました、
「零戦燃ゆ」の映画でもあったように、「自動車も、まともに造れん日本が我々より航続距離の長い戦闘機などあり得ん、空母が必ず近海にいるに違いない」
とマッカーサーが言っていたのを思い出します、
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0さん、いつも貴重な画像ありがとうm(__)mです
台南航空隊、
勇ましいですね、
このいつもチャンネルで、
戦闘機の知識人に会って 大変貴重な体験しています、あらためて御礼を申し上げます、
また、そんなに零戦に知識がない私は、
携帯サイトをたまたま見て 投稿しましたが、
こんなに奥が深いとは…。二人に影響されて、とうとう零戦の専門紙を買ってしまいました、
坂井三郎は 権兵衛さんのおっしゃるとうり
帰投後 上官の笹井に対し『敵機を追捕せんとするも雲中に見失えり』
明らかな背命行為 軍率違反で、重罪ですね
坂井三郎は固く沈黙を守ったとか、
戦後もこれについては固く沈黙した、
終戦から半世紀たって、考えを改め、ある講演会で告白した、
すると思いもよらない事起きていた、
ちょうど同じ頃、機内で娘を抱き締めていた、元看護婦の母親が、私達を見逃してくれた日本の搭乗員に会いたい、と
赤十字などを通じて坂井を照会していたそうで、
こうして坂井と彼女は奇跡な再会を遂げて互いの無事を喜びあった
と本にありました、
坂井三郎は時には軍規を破っても、守る何か
正に大空のサムライですね、