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第二次大戦当時と第二次大戦直後の世界各国での初のジェット軍用機開発状況は以下の通りです。
ドイツではメッサーシュミットMe262がユンカース製Jumo004B軸流式ジェットエンジンを2基搭載して1942年4月に初飛行。
アメリカではベルP59エアラコメットがイギリスのパワージェットW.1遠心式ジェットエンジンを少改良したジェネラルエレクトリックJ31-GE-3を2基搭載して1942年10月に初飛行。
イギリスではグロスターミーティアがロールスロイスW.2B/23C遠心式ジェットエンジンを2基搭載して1943年3月に初飛行。
日本では中島飛行機 特殊攻撃機(体当たり攻撃に使うものではなく500kgもしくは800kg爆弾を搭載し670km/h前後の高速を利して攻撃を行う用途の攻撃機)橘花が唯一の資料ドイツのBMW003Aの断面図だけを参考に→空技廠/石川島重工業が協力して独自開発したネ20軸流式ジェットエンジンを2基搭載して1945年8月に初飛行。
(橘花はMe262の模倣版だといわれることがありますが正しくは全くの別物、運用用途も違えば機体サイズも一回り小型で形状も別物、Me262の技術情報がほぼ手に入らなかったため、日本独自の設計となっています。)
ソ連ではミコヤン・グレビッチMig9がドイツのBMW003軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-20を2基搭載して1946年4月に初飛行。胴体内に2基のジェットエンジンを搭載していましたが機首部分の左右の空気取り入れ口の真ん中に機銃を装備していたのが災いして失敗作になっていたようです。
ソ連では政治的理由によりMig9が初飛行するまで初飛行は許されませんでしたがヤコブレフYak15がドイツのユンカース社製Jumo004軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-10を1基搭載して1946年に初飛行。
第二次大戦で大量使用されたプロペラ戦闘機Yak3の液冷式ピストンエンジンを撤去し替わりにジェットエンジン1基を無理矢理取り付けた構造のジェット機でした。
こうして見るとジェットエンジンとジェット軍用機の開発ではドイツが最も早く尚且つ進んでいました。(ドイツでは実際にはもっと早くに1941年3月30日にハインケル社がHeS8a遠心式ジェットエンジンを2基搭載したHe280というジェット戦闘機を初飛行させていましたが政治的理由に〔ハインケル社の社長だったエルンスト・ハインケル博士がナチス党員ではなかったのが原因〕より冷遇され後から遅れて初飛行したメッサーシュミット社製Me262ジェット戦闘機が優遇され〔メッサーシュミット社の社長だったヴィリー・メッサーシュミット博士はナチス党員だったため優遇された〕正式採用されていました。)
尚、進んでいたドイツでは軸流式ジェットエンジンと遠心式ジェットエンジンをミックスしたような高性能ジェットエンジンHeS 011がハインケル・ヒルト社で開発中でもありました。
連合軍の中では唯一イギリスだけが独自開発のジェットエンジンを持ち世界的にはドイツの次に進んでいました。
アメリカはイギリスのパワージェット社製W.1遠心式ジェットエンジンをイギリスから供与してもらい、これに少改良を加えて使っていましたから独自開発のジェットエンジンは一つもなく技術的に進んでいるとは言い難い状況でした。
日本はドイツからの技術情報を携えて帰るはずの潜水艦があと一歩のところで沈められ唯一日本に伝わったのはBMW003A軸流式ジェットエンジンの断面図のみとなり、ほとんどの部分は空技廠と石川島重工業の協力により独自開発され終戦直前に特殊攻撃機橘花を初飛行させるところまでは出来ました。
ソ連の場合は終戦から一年後の1946年にMig9、Yak15、Su9Kと各設計局のジェット戦闘機が初飛行しましたが、どれもドイツのユンカース社製Jumo004軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-10かドイツのBMW社製BMW003軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-20というコピージェットエンジンを搭載したものばかりでした。
ジェット軍用機開発で他国に遅れをとったという焦りから急げ急げと命令された結果スホーイ設計局のSu9Kなどはジェットエンジンもドイツのコピー、機体もドイツのメッサーシュミットMe262にあまりにもそっくりだったため時の権力者ヨシフ・スターリンの逆鱗に触れ怒りをかったともいわれています。 -
参考資料として
・上から下へ順番に日、独、英、米の最初のジェット軍用機(特殊攻撃機中島橘花/メッサーシュミットMe262A/グロスターミーティア/ベルP59エアラコメット)・ソ連最初のジェット軍用機(ミコヤン・グレビッチMig9/ヤコブレフYak15/スホーイSu9K)
の写真を貼りますね。
ソ連のスホーイSu9KはドイツのメッサーシュミットMe262Aに驚くほど瓜二つでしょう。
急げという上からの命令によほど慌てたのでしょうね。
しかし独裁共産主義国家だけに権力者の気分を損ね怒りでもかえばたとえ設計者でも粛清に遭う時代、運が良くても投獄、強制労働でしょうから今の北朝鮮とあまり変わらない理不尽な国。
飛行可能な復元機となるとコストと消耗部品などの供給体制を含む維持運用コストを考えるとやはり同クラスの普及率の高いものをということに行き着きアメリカ製の千馬力級空冷星型エンジンという流れになるのがほとんどです。
そしてアメリカ製エンジンではあるが組み立ては中国で行うなど費用を極力抑えるようにしている事例も多いです。
零戦の場合は機体表面からリベットの頭が突起しないように頭部分を平らにカットした沈頭鋲を全面的に使用し機体表面を滑らかにするように工夫されていました。
主翼は正面から一見すると胴体から左も右も斜め上に向かって伸びているよう(ただ上反角が付けられているだけのように見える)に見えますが、主翼の中ほどから微妙に下方へ垂れるように造られています。
捩り下げと呼ばれる日本特有の匠の技的な絶妙な造りです。
これにより失速し難く低速域での操縦特性を良くしていたといわれています。
画像は零戦二二型と五二型の飛行シーンを正面側から捉えたものです。
捩り下げが判ると思います。