-
-
戦艦大和の引き揚げは残念ながら難しいでしょうね。
何故かといえばアメリカ海軍は二番艦戦艦武蔵を沈めた際に何百機もの攻撃機を使って世界の戦艦史上最大の被害が出るような攻撃をしましたが、なかなか沈まないこの一隻の戦艦に舌を巻いていたといいます。
この時のことを教訓にして戦艦大和を攻撃する際には左舷側ばかりに魚雷や爆弾を集中させ攻撃して傾斜を復元させる大和級戦艦の注排水機構の能力を奪い沈めました。
そして沈む際には弾火薬庫の誘爆と水蒸気爆発が起こり船体中央付近から二つに折れて分離して沈んでいるので引き揚げは難しいといわざるを得ません。
仮に出来たとしても費用が途方もない額になるでしょうね。
鳳翔でいろいろな改造を施してはまた改造し直して実験を繰り返し日本の空母は進化して行きました。
そして巡洋戦艦から改造された空母赤城や改長門級戦艦から改造された空母加賀は最初は重巡洋艦の主砲用の20cm連装砲を二基搭載した三段空母として造られ後に通常飛行甲板の空母へと大改装されました。
これも三段式飛行甲板の使い勝手を試す大いなる実験でした。
世界的にも空母開発の過渡期に建造された日本の空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴などはそれぞれいろいろな艦橋配置、煙突配置になっています。
この時期も日本独自に考え出した方法で船体側面から下方へ湾曲させた煙突を出し排気ガスに海水を混ぜて放出し排気ガス温度を下げ煤煙を抑え着艦する艦載機の妨げにならないようにする工夫を凝らしてありました。
同じ時期に商船や他の艦種から改造された空母も概ね同様(飛行甲板上には艦橋を設けず飛行甲板下に艦橋を設けた艦も少なくありませんでした)。
そしていろいろと試行錯誤を重ね、やがて日本空母独自の形が定まり造られたのが煙突と艦橋を一体構造物として右舷艦首寄りに設置し煙突を26度外側に傾斜させ煙突トップが飛行甲板上から17mの高さになるようにしたものでした。
この型式で完成した空母には飛鷹、隼鷹、大鳳、大和級戦艦からの改造空母である信濃がありました。
この型式は日本独自なものでした。
飛鷹と隼鷹で実験的に試し、その後大鳳と信濃に導入されました。
大鳳と信濃はどちらもあっけない最期を迎えましたが新機軸を盛り込んで期待を背負った空母でした。
どちらも従来から空母という艦種の最大の弱点だった木製だけの飛行甲板をやめ、敵機からの爆弾命中の爆発にも耐えられるように主要範囲だけながら装甲化した飛行甲板を装備し航空攻撃に撃たれ強い空母となっていました。
これはミッドウェイ海戦で被った四空母喪失の時の反省点を反映した結果だったのかも知れません。
運用構想としては最前線でも装甲化した飛行甲板により敵機の爆撃に耐えて艦載機の離発着を敢行し攻撃を続行、ミッドウェイ海戦の時のように不幸にして母艦を失った友軍機がでてもその友軍機をも収容して攻撃を続行させるという運用用途を想定して建造されていました。
太平洋戦争当時の建造でしたが大鳳はエンクローズドバウと呼ばれる艦首の形をしており現代のアメリカ空母のような艦首形状でした。
ちなみに当時イギリス海軍でも同じような形状をしたハリケーンバウを採用していました。
イギリス海軍では大鳳と同じく飛行甲板の装甲化も図られており、装甲化によって大鳳と同様に格納庫容積は減少していましたが日本軍機の特攻機が飛行甲板に命中してもたいした被害を受けず残骸を排除して直ぐに戦線復帰出来ていました。
同じように日本軍の特攻機が飛行甲板に命中した場合に修理が必要な状態になっていたアメリカ海軍の空母とは歴然とした差がありました。