ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
トータル:34841HIT
-
ヘルシアさん、非常に良いスレの題材だとは思いますが、カテゴリー的にはここより国家・軍隊カテゴリーでスレ立てた方がピッタリ合っていると思いますが、いかがでしょうか?
添付画像は数ある零戦の型の中から厳選して代表的な型を待受サイズに合うように一枚にまとめた画像です。 -
↑この画像の零式艦上戦闘機は上から下へ順番に二一型、二二型、三二型、五二型です。
三二型以外は全て現存する飛行可能な零戦です。
尚、零戦の○○型という型式番号は一桁目が機体改修回数で二桁目が発動機の改修回数にあたり、読み方は二一型ならニジュウニガタとは読まず、ニイイチガタという具合に読みます。 -
失礼!
画像の順番は上から下へ順番に二一型、三二型、二二型、五二型でした。
ゴメンなさい。
二一型は太平洋戦争前半の代表的な型、三二型、二二型は中盤戦の代表的な型、五二型は後半戦の代表的な型です。 -
4、5※さん、
まったくおっしゃる通り です、やはり軍カテゴリーでした、
スレが上がってたので覗いてみました、
しかし 素晴らしい知識 お見それしました。
m(_ _)m
待ち受け画像 頂戴しましたよ、 -
しかしまぁ、
私は零戦は、みんな同じに見えますハィ、
零戦は、我々日本人の
誇りですね、
-
零式艦上戦闘機も細かく細分化するとそれぞれの○○型の後に甲型や乙型や丙型や丁型などが付く型もありますが、これは割愛します。
太平洋戦争初期の一一型や二一型は長大な航続距離と空中戦格闘性能重視の造りでしたが中盤戦の三二型や二二型は動力性能向上を重視していました。
後半戦の五二型は更に機体強度強化、武装強化と防弾装備強化を盛り込みましたが日本の場合強力なエンジンに恵まれず動力関係が最後までネックとなりました。
したがって初期型、中期型、後期型を比べると姿は似ていてもそれぞれ別の性格の戦闘機となっていました。
塗装も勢いのあった初期に比べ時が経ち守勢にまわって行くにつれ、より迷彩効果を狙った地味なものへと変化して行きました。
ってこんな感じで自分で調べて勉強していくといろいろと発見することもありますね。 -
9※さん、素晴らしい
私は飛行機は、まったく素人です、
知っているのは、零戦は、当時では、飛行距離では、負けなかった。
初期は 軽く薄く、回転が早く、
しかし 人命無視の攻撃型と、言われ何度も改良された
ときいてました、
軍と三菱重工業での話はもつれたでしょうね、
私はそこまで詳しくは知りませんでした、
大東亜戦争時代の、戦闘機、面白くなりました。勉強します、
ありがとうm(__)mです、
また 面白い話や、何かありましたら、教えて下さいね、お願いします、
-
零戦で最初の量産型である零式艦上戦闘機一一型が中国大陸で実戦投入された際に初のデビュー戦となった空中戦で対戦相手となった中国空軍戦闘機の一つ(ソ連製のポリカルポフI-16モスカ)の画像。
モスカとはハエという意味。
この戦闘機は大量に生産され第二次大戦初期の時期ヨーロッパでもアジアでも大量に出回っていたため、たくさん空を飛んでいた。
ドイツ軍や日本軍の撃墜王が途方もない数字の撃墜数を出していたことには少なからずこの戦闘機が貢献しているのも事実。 -
零戦のデビュー戦は凄まじかった。
日本海軍の零戦13機と中国空軍のポリカルポフI-15戦闘機(複葉戦闘機)とI-16戦闘機合計27機が空中戦をして日本側は撃墜された機体はゼロで中国側は一方的に全機撃墜されてしまった。
だったと思います。
しかも零戦は友軍爆撃機を守る護衛任務を果たしたあとに引き返した末の空中戦での敵機全機撃墜でしたから零戦の航続距離の長大さは当時の世界中の戦闘機の常識を遥かに超えていたことが判ります。
記憶が確かならね。 -
11、12※さん
さすがです、
ポリカルポフ←なんか舌を噛みそうな、( ´艸`)知りませんでした、
当時の零戦乗組員は、
かなりの操縦技術を持ってたのでしょうね、
そうしたパイロット方々は、殆どミッドウエーで、亡くなられたようです、
レスを投稿する
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月