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>>273 さん
私の両親の生家も、ど田舎で・・・ 今でも・・・ 農家だし・・・ 当時、疎開兵の兵舎も有ったそうです。
自慢話に成ってしまいますが、母の爺さんが合併する前の小さな村の村長で、 玉音放送 も 皆で母の実家で聞いたそうです。 難しくてよく判らなかったとか・・・
話が 飛びますが?さかのぼりますが? 父の実家近辺は 戦国時代 合戦場で 子供の頃 火縄銃の鉛玉を拾っては小遣いにしていたそうです。 で 話は戻りますが よく強制だったとの声も有るが、父の兄は本心から特攻隊に志願したが 兵士になる前に終戦だったとか・・・
空 ニ 生 キ
空 ニ 死 ス
之 男子 ノ 本懐 ナリ
>>271 さん
米 遅れて すみません。
父の生家は、東北最大の一級河川 北上川(その名を採った軽巡洋艦・北上も有りますね)の川沿いです。先の大戦中も今の国道45線の橋が架かっていまして その下に戦艦では無いけれども 内務省の大きな船が2隻停泊していたそうです。 で 書くまでも有りませんが、橋・船 目がけて米軍機が しょっちゅう空爆しに来てたそうです。 幸い 被害は無かったそうです。
そして 戦後・・・ 米兵達が川原でバーベキュウを愉しみながら 軍用犬にもステーキをあげてて、部落の子供たちも皆ステーキをいただいていたそうです。
ギブ ミー ステーキ ♪