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・イタリアのアンブロシーニS.S.4 1939年5月完成
・アメリカのカーチスXP-55アセンダー 1943年7月19日に初飛行
・牽引式双発の爆撃機ながら形態が似ている軍用機としてイギリスのマイルズ・リベルラM.39B 1943年半ばに初飛行
いずれも正式採用されることはなく終わっています。
これら諸外国製の同類機と見比べても日本の震電の完成度の高さが際立って見て取れると思います。
そして、震電の姿をいろいろな角度から見て行くと第二次大戦機というよりは現代ジェット戦闘機に限りなく近い形態をしています。
空冷式ピストンエンジンのプロペラ機ながら動力配置は後部だし、空気取り入れ口はコクピット斜め下後方の両サイドに開口しており、主翼は後退角の付いた層流翼の機体後部配置だし、水平尾翼は機首に配置されているし、垂直尾翼は二枚式だし、どれをとっても戦後数十年たった頃、1960年代に出て来たジェット戦闘機のような形態です。
残念なのは動力がジェットエンジンではなくプロペラ機だったことでしょうか。
震電はこのプロペラ機仕様で30mm機銃(1門あたり160発搭載)4門を機首に集中配置して最大速度750km/h、航続距離1500〜2000kmの性能を目指して開発していたそうです。
もしも、終戦がもっと後になっていたとしても開発は尚難航したことは想像に難くありません。
なにせ今まで世界中の国々が主流派として生産したことのない新ジャンルの軍用機でしたから。