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折しもアメリカ軍の四発重爆撃機ボーイングB-29による日本本土爆撃の脅威が迫っていましたから、これに対する対抗手段を模索していたのは当然の流れではありました。
しかしエンジン技術分野で弱かった日本には強力で小型な戦闘機用エンジンに適当なものがなく苦肉の策として爆撃機用の大型エンジンを採用したため、それに伴い開発は難航を極め長引きました。
その努力の成果もあってか戦後アメリカ軍にテストされた「雷電」への評価はかなり高いものでした。
大型とはいえ出力の高い爆撃機用エンジン(1800馬力級エンジン火星)を搭載し空力的に洗練された紡錘形の胴体に四枚羽のプロペラ、通常翼と層流翼を絶妙にミックスさせた主翼(内翼側のみ層流翼としていた)を持っていましたからアメリカ製戦闘機お得意の一撃離脱戦法も問題なく行えて日本戦闘機お得意の巴戦にも強いという戦闘機に仕上がっていたからでした。
但し問題は艦上戦闘機としてではなく局地戦闘機として開発されていたため航続距離も短く(短いとはいっても増槽付きでは2520kmは飛べだ)離着陸特性も零戦のようには良くなかったので零戦の後継機には成り得ませんでした。
局地戦闘機「雷電」の現存機は戦時中フィリピンで滷獲されたものがアメリカのプレーンズオブフェイム博物館に屋内展示されています。たぶんこれが唯一の現存機だと思います。
模型による局地戦闘機「雷電」の三面画像とプレーンズオブフェイム博物館にある局地戦闘機「雷電」の画像を貼ります。
「烈風」の開発もエンジン開発(戦闘機用小型高出力エンジン誉)の不調から難航しました。