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↑頭の中は遠い昔を今も生きてるようですね。
いつの時代の考え方ですか?
原発に限らず人間によって考え出されたものは全て最初から最後まで考え出した人が一貫して作るものではありません。
そもそも人間には限られた寿命がありますから一貫して作りたくてもそれは無理というもの。
複雑なものになればなるほど大勢の人間で考え大勢の人間で作っていかなくては成り立たない。
最初に作り出した人がダメだといったとしてもそれが永遠にダメなものである保証はどこにもない。
技術というものは継承されていき初めて発達するものです。
そして失敗や成功を反省しながら繰り返し続けて来た技術継承のない国はやはり他国に差をつけられ弱い立場に立たされます。
その差が国によって極端に生じている現在こそがやはり国民性の違いによるところが大きいのです。
今有る現実を見て見ない振りをして時代錯誤のお話をしても説得力ゼロです。
国というものは存在しないという考え方もおとぎ話と同じです。
現実を見て下さい。 -
それから他国の不幸を笑っているわけではありません。
簡単にいえば不幸(大惨事)を起こすべくして自ら起こしている考え方の浅はかさ加減に呆れて、まだ気がつかないのか?
賢くないね。
ということを具体的な実際にあった話でいっているだけなのですよ。
物事はもっと冷静に捉えて下さい。 -
4月22日、韓国の朝鮮日報の報道によると6月のソウル市長選に出馬表明している韓国与党セヌリ党の鄭夢準(チョン・モン・ジュン)氏はセウォル号沈没事故に関する次男の発言について謝罪したという。
鄭夢準(チョン・モン・ジュン)氏の次男はフェイスブックで「他国で同じような事故に遭った際その多くが理性ある行動をとっている。ところが我が国は違う。大統領が現場に赴き全力を尽くすと表明しているにもかかわらず民衆は騒ぎ罵り水をかけるといった未熟な態度を見せている。これはあまりにも荒唐無稽だ。未熟な国民が集まった国は国自体未熟な国にしかならない。国民が未熟な態度を見せれば国全体が未熟であると思われてしまう」と感情的になる民衆を批判していた。
この鄭夢準(チョン・モン・ジュン)氏の次男の発言は韓国内では物議を醸し批判が集まっていたため鄭夢準(チョン・モン・ジュン)氏は「犠牲者家族や不明者家族及び国民に深くお詫びする。息子の不適切な発言に父親として申し訳なく思う。息子も反省している。私は息子の育て方を間違えていたようだ。一切の責任は父親である私にある。」と謝罪を行ったという。
そうかな?父親である鄭夢準(チョン・モン・ジュン)氏の発言はおかしいよ。
息子の発言は的を得ていると思うよ。
息子はありのままの現実を感じた通りありのままにいっているだけでしょ?
韓国の場合、セウォル号沈没事故を起こした関係者や救助に当たった側の関係者の考え方や対応もおかしいが、その結果を受けた被害者遺族や国民の対応もおかしいというか見苦しいという表現が1番当て嵌まるかも知れない。
息子の発言は間違ってはいないと思う!
まともな発言だろう。 -
他国の人間、日本人の立場から見た今回のセウォル号沈没事故について感じたことを率直にいうと、この韓国与党セヌリ党議員の次男の発言のような主張に対してそれはおかしい間違っていると批判を浴びせることが当たり前のようになっている韓国人の世の中自体が間違っていると強く感じます。
他人への悪口や攻撃には熱心だが、自らの悪かった点や至らなかった点については反省しようという意思すらない。
これが国全体に蔓延し、当たり前の風景となってしまっている。
他国では考えられないような大事故が頻繁に起きる韓国。
起きても起きても、また繰り返し引き起こされるのはなぜなのか?
それは国自体、国民自体が自らを反省しないことが習慣化しているのが根本原因なのだ。
それに気付いて発言する者は批判に曝され口を塞がれる。
この異常さに早く気付けばいいのにいつまで経っても韓国人は気付かずにいる。
日頃から他国の悪口をいうことばかりに熱心になっているから自国の足元の危うさに気が付かないのだ。
原発自体が欠陥なのかどうかは別の問題(そんなに乱暴、大ざっぱにいい切れるほど単純ではないだろう)にしても良くも悪くもそれぞれの国民性というものが存在するなか明らかに違いがあるものを無理矢理みんな同じという方がいい加減過ぎるだろうな。
それではそれぞれの国民性の個性自体を全否定しているのと全く同じだ。
違うものを同じだとしか感じ取れない鈍過ぎるいい加減な感性自体が問題だ。
無頓着過ぎるといってもいい過ぎではない。
場合によっては国家間の争い事に発展する可能性すらある間違った考え方だ。