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    2014/02/04(火) 19:01:17 ID:DMsGSLP.O
    太平洋戦争当時の日本の軍部は技術者がことの真実をちゃんと説明しているにもかかわらず、精神主義ばかりをごり押しして技術者たちの話を聞かず話の本質を捩曲げる悪い癖が横行していたのは事実です。
    堀越技師と共に零戦開発に携わって苦労をしていた曾根技師が生前NHKの特集番組で当時のことを語っていました。
    その時の話はこうでした。
    南方に進出し航空撃滅戦を戦っていた前線部隊の切羽詰まった改善要求の声に応えるべく零戦三二型を開発している時期に開発会議の席上で声を大にして会議の流れを握っていたのはやはり軍部でした。
    ご存知の通り零戦各型の中でも三二型だけは角張った主翼の翼端形状をしています。
    技術者たちは翼端を丸く整形しないとカルマン渦が発生し速度を出す上で障害になることを知っていたので整形してから完成させて欲しいと訴えましたが、軍部は「最近弛んではおらんか?そんな考えではこの戦争は勝ち抜けない!精神を引き締め軍と民間と一致団結してこの戦争を勝ち抜こうではないか!」と高圧的にいわれ会議は終わり技術者たちの訴えは聞き入れられなかったと回想されていました。
    それが原因で零戦三二型は主翼端を整形する暇も与えられず実戦投入されエンジンの馬力は上がっているにもかかわらず速度性能はほとんど向上出来ないままに使用されることを余儀なくされました。
    ようやく主翼端整形がなされたのは太平洋戦争末期になってから零戦五二型からでした。
    軍部が押すエンジンを開発メーカーに押し付けて失敗した事例は他にもあり零戦の後継機に予定されていた烈風でも軍部は三菱製エンジンの搭載を最後まで認めず中島製の誉エンジンを搭載しろという命令を撤回しませんでした。
    その結果、烈風の性能は要求値を下回り開発中止となりました。
    しかし三菱が自社の主張を通し勝手に自腹で三菱製エンジンに換装してテストした結果、性能は向上し要求値を達成、結果を聞いた軍部は採用だ採用だと喜びましたが時期既に遅く終戦となりました。
    当時の軍部の押し付けは本当にあった話なのです。
    開発に携わった人、本人が語っていたのですから。
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