-
-
ヘルシアさん、こんばんは。(゚▽゚)/
意味は判るので全然OKですよ。(^O^)
続きです。→ハイオクガソリンとはレギュラーガソリンより点火しやすい燃料だと思っている人は意外に多いのですが、実は逆であり引火点を高くするためにいろいろな添加剤を配合して点火する温度を上げている簡単には点火し難くしてある燃料なのです。
引火点を高くした燃料でより多く圧縮して点火時期を遅らせて点火すると同じ量の燃料でもより大きなパワーが発生する、これを求めて開発されたものなのです。
そして高圧縮と点火時期を遅らせることをしていない状態では簡単には点火しない性質を持つということは異常燃焼や異常爆発を起こさないということですからノッキングなども起こらなくなるということなのです。=エンジンの調子が良くなるということです。
だからこれらのチューニングが出来ていないエンジンにハイオクガソリンを入れてもパワーが上がることはないのです。
日本陸軍の三式戦闘機川崎飛燕Ⅰ型はドイツのダイムラーベンツ製DB601倒立V型12気筒液冷式エンジンを川崎で国産化したハ40を搭載していました。
国産化の元になったDB601エンジンはドイツ空軍主力戦闘機だったメッサーシュミットBf109Eの搭載エンジンでもありました。
そして、このDB601エンジンはイタリアでもアルファロメオRA1000RC41として国産化されてイタリア製戦闘機の改良版高性能化戦闘機の製作に大いに貢献しました。
このエンジンを使い誕生したのがイタリア空軍のマッキMC202フォルゴーレ(フォルゴーレとは稲妻の意味)でした。
したがってこれら三機種の戦闘機、ドイツ空軍のBf109と日本陸軍の飛燕とイタリア空軍のMC202は心臓部に同じ系列のエンジンを持つ戦闘機であり母なる国は違えども兄弟みたいな関係の戦闘機でした。
これら三機種の参考写真を貼ります。
同じ系列のエンジンを搭載しながらも完成したものはご覧の通りそれぞれのお国柄や国民性を色濃く反映させたものとなりました。
性能や性格もかなり違っていました。
アメリカ軍は戦場で目にした日本の三式戦闘機飛燕のことを最初はドイツかイタリアから輸入したメッサーシュミットBf109EかマッキMC202フォルゴーレだと思い込み日本がこの手の液冷式エンジン搭載の戦闘機を自力で作れるはずがないと見下していました。
しかし、次第にそれが誤りであることに気付くと飛燕に対しイタリア製MC202に似ているということからでしょうかトニー(当時のイタリア系移民のアメリカ人に最も多かった名前)というコードネームを付けて呼ぶようになりました。
どうしても日本人のオリジナル開発の戦闘機である事実を認めたくなかった当時のアメリカ人の日本人に対する差別的感情が物凄く伝わって来ます。
飛燕同様、日本人が作り出した零戦の存在を認めようとしなかった太平洋戦争初期のアメリカ首脳陣、いや認めたくなかったというのが偽らざる真実だと思います。
それだけ日本人のことを見下していたのは事実だと思います。
堀越技師と共に零戦開発に携わって苦労をしていた曾根技師が生前NHKの特集番組で当時のことを語っていました。
その時の話はこうでした。
南方に進出し航空撃滅戦を戦っていた前線部隊の切羽詰まった改善要求の声に応えるべく零戦三二型を開発している時期に開発会議の席上で声を大にして会議の流れを握っていたのはやはり軍部でした。
ご存知の通り零戦各型の中でも三二型だけは角張った主翼の翼端形状をしています。
技術者たちは翼端を丸く整形しないとカルマン渦が発生し速度を出す上で障害になることを知っていたので整形してから完成させて欲しいと訴えましたが、軍部は「最近弛んではおらんか?そんな考えではこの戦争は勝ち抜けない!精神を引き締め軍と民間と一致団結してこの戦争を勝ち抜こうではないか!」と高圧的にいわれ会議は終わり技術者たちの訴えは聞き入れられなかったと回想されていました。
それが原因で零戦三二型は主翼端を整形する暇も与えられず実戦投入されエンジンの馬力は上がっているにもかかわらず速度性能はほとんど向上出来ないままに使用されることを余儀なくされました。
ようやく主翼端整形がなされたのは太平洋戦争末期になってから零戦五二型からでした。
軍部が押すエンジンを開発メーカーに押し付けて失敗した事例は他にもあり零戦の後継機に予定されていた烈風でも軍部は三菱製エンジンの搭載を最後まで認めず中島製の誉エンジンを搭載しろという命令を撤回しませんでした。
その結果、烈風の性能は要求値を下回り開発中止となりました。
しかし三菱が自社の主張を通し勝手に自腹で三菱製エンジンに換装してテストした結果、性能は向上し要求値を達成、結果を聞いた軍部は採用だ採用だと喜びましたが時期既に遅く終戦となりました。
当時の軍部の押し付けは本当にあった話なのです。
開発に携わった人、本人が語っていたのですから。