341

桜花の最初の出撃は、戦局押し迫った昭和20年3月21日のことです。この5日後には、沖縄戦が開始されています。

まさに米艦隊が、沖縄めがけて続々と押しかけてきていたときです。
日本としては、なんとかして敵の沖縄上陸を阻止し、遅らせ、民間人の避難を促進したいけれど、すでにこの時点で、帝国艦隊は最早壊滅し、空母もなく、沖縄近郊の制海権、制空権は、完全に奪われていました。

飛ばせる飛行機もない。飛行機を飛ばすためのガソリンも、残り僅かです。
この時期、日本の航空隊は、練習機に摘んだガソリンは、まともな石油ではありませんでした。
ひとことでいえば、いまでいうサラダ油をガソリンの変わりに積んで飛んでいました。
(↑↑↑本当かなぁ?)
戦後のことですが、米軍が日本陸軍の四式戦闘機「疾風(はやて・ゼロ戦の後継機にあたる)」に、米国製のオクタン科の高いガソリンを入れて飛ばしたところ、当時世界最強といわれたP51ムスタングよりも高い性能を示しています。

特攻する際は、それなりのガソリンを入れたものの、いまで言ったら、ハイオク使用の車に、軽油を入れて飛ばすようなもので、そもそも充分な性能を発揮させることができないという状況でもありました。
けれど、それでもなお、帝国は沖縄を守るために全力を尽くそうとしたのです。
圧倒的な兵力を持った敵に対し、わずかばかりの兵器で戦わざるを得ない。
かくなるうえは、問題点山積みの兵器とはいえ、「桜花」出撃やむなし、と判断せざるを得なかったという事情も背景となっていました。

万にひとつでも、攻撃を成功させれば、あるいは攻撃が成功しなくても、敵は日本本土から飛んでくる特攻隊への防戦に注力せざるを得ない。
そのために敵は、相当数の兵力を防備に割かざるを得ない。
そうなれば、米軍の沖縄上陸は遅れ、遅れた分、沖縄内では米艦隊からの艦砲射撃対策のための掩蔽壕や、民間人避難のための防空壕をほんのわずかでも強化できるし、戦場となりうるエリアから民間人を避難させることもできる。
だから「桜花」は飛び立ちました。

0 0
<

人気の記事