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時間がある方々は 読んで下さい、サイトからのコピペです
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沖縄戦では、多数の民間人が犠牲になられました。
このことがいまだに沖縄に暗い影を落としているといわれています。
けれど、よく考えていただきたいのは、本来、軍が戦闘をするとき、民間人がいては、軍はその機能を存分に発揮することができないということです。
ただでさえ、少ない兵力、乏しい戦力で戦わなければならない日本軍にとって、戦場に民間人がいたら、正直困ることになります。
ですから、軍は、沖縄戦に先んじて、沖縄の民間人の本土への疎開を遂行しようとします。

しかし、これに反対し、沖縄県民を戦地という危険に晒したのは、ほかならぬ沖縄県知事でした。
ともあれ、沖縄には、まだまだ多数の民間人が残っていたのです。
沖縄県民をひとりでも多く救うためには、本土に残るわずかばかりの兵力をもって、米軍に挑み、米軍の注意を本土側にそらしておく必要があります。
そのために「桜花」は出撃しまています。
それは昭和20年3月21日のことでした。

この日出撃した部隊は、桜花を懸吊した一式陸攻18機と、護衛のためのゼロ戦30機です。

部隊は、敵艦隊のはるか手前で、進撃中に敵艦隊にレーダーで捕捉されました。
そして上空で待ち構えたグラマンF6F戦闘機28機の待ち伏せにあい、迎撃されまています。
一式陸攻を守ろうとゼロ戦部隊が対空戦を挑み、一式陸攻がまる裸状態になったところに、別なグラマン部隊が襲いかかる。
そうして陸攻隊は全機が撃墜され、ゼロ戦隊も、30機中10機が撃墜されました。
無理をして一式陸攻から飛び立った桜花もあったけれど、飛距離が足らず、海中に没しています。

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