• 348ヘルシア
    2014/03/20(木) 01:03:43 ID:QRyIYj72O
    野中五郎少佐は、明治43年、東京・四谷のお生まれです。
    子供の頃から明るく、周囲を笑いの渦に巻き込む天賦の才があったそうです。
    学生時代は、クラシック音楽が好きで、レコード屋に入り浸ってレコードを買い求める音楽青年でもありました。
    大東亜戦争の開戦と同時に、当時大尉だった野中は、一式陸攻の分隊長として、フィリピン、ケンダリー、アンボン、ラバウル、ソロモンと転戦しました。
    そして、巡洋艦、輸送船合わせて四隻を撃沈しています。
    ラバウル時代には、草鹿任一第十一航空艦隊司令長官から武勲抜群として軍刀を授与されてもいます。
    昭和18年11月のギルバート戦では、彼が発案した「車がかり竜巻戦法」で、米軍を悩ませもしました。

    これは、薄暮、単縦陣で海面すれすれに飛行し、敵艦船を遠巻きにして、その周りを回り、最後尾の機に先頭の隊長機が迫って輪のようになる。
    そして照明弾を落とすと、敵が光にさらされて姿を現す。
    そこを全機で魚雷攻撃するというもので、多数の米艦船がこの攻撃で沈みました。
    野中五郎大佐の趣味は茶道でした。

    南方では出撃前にも翼の影で野点に心を鎮めていた方でした。
    彼は新任の部下に、
    「若え身空で遠路はるばるご苦労さんざんすねぇ。
    しっかりやんな。お茶でも入れようか」と声をかけ、面くらわせたりもしています。
    言葉づかいはべらんめい調だけれど、飄々とした味があり、とにかく部下思いの優しさから多くの部下たちに慕われ、彼の部隊は、いつしか「野中一家」と呼ばれるようになったそうです。
    その「野中一家」に、桜花部隊が配属されたのです。
    「死ぬ」とわかっている部隊です。

    下士官たちはくたびれ、若い兵士たちの気持も沈んでいる。
    野中隊長は、そんな彼らを見渡し、朝礼台で挨拶しています。

    どいつもこいつも不適な面魂をしている。

    誠に頼もしいかぎりである。
    この飛行隊は日本一の飛行隊である事は間違いねぇ。
    何となれば隊長が日本一の飛行隊長だからであ〜る。
    かく言う俺は何を隠そう、海内無双の弓取り、海軍少佐中野五郎であーる。
    かえりみれば一空開隊当初より、大小合戦合わせて二百五十余たび。
    いまだかって敵に後ろを見せたことはねぇ!

    講談調でたたみかけるように話す野中に、いつしか兵たちは ニヤリと笑い、表情に力強さが戻ったそうです。

    この様子を見ていた人の談によると、野中五郎少佐の訓示は、なにやら勇者の魂が乗り移っていくような不思議な魔力があったといいます。
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