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    2014/01/09(木) 12:31:55 ID:Rj5Sss4AO
    ノースアメリカンP-51Dムスタングが好きだという人は多く世界的にも第二次大戦の最優秀戦闘機といわれることが多い。
    しかしP-51Dムスタングと対戦した敵国の戦闘機パイロットや本人は希望していないのに命令でP-51Dムスタングに無理矢理乗る羽目になった戦闘機パイロットたちの感想(作られた声ではない真実の声)を知ると話はかなり違って来る。
    P-47サンダーボルトなどのP-51Dムスタング以外の戦闘機に比べると割と安価な費用でいろいろな用途をそつなくこなし最高速度が早く一応航続距離も長くすることが出来た点を評価したとするならば最優秀戦闘機の評価はピッタリと当て嵌まるということらしい。
    つまりP-51Dムスタングという戦闘機は使う側の者(第一線で戦うパイロットたち)というよりは保有する側(軍、ひいては国)にとっての最優秀戦闘機であったというのが真実のようだ。
    そこに輪をかけて民間に払い下げられた機体の数が多かったりエアレーサーに改造されて使われたりして人気が更に強化されたというのが正しいだろう。
    意外にもP-51Dムスタングと対戦したドイツ軍でも日本軍でもP-51Dムスタングが特に強く優秀だったと語る戦闘機パイロットはほぼいない。
    P-47サンダーボルトやその他の戦闘機の名を挙げて苦労したことを語る者が大半だという。
    そして更に驚くことにアメリカ軍戦闘機パイロットはP-51Dムスタングに乗るよりは軒並みP-47サンダーボルトに乗りたがっていたらしい。
    理由はいろいろなことをそつなくこなし最高速度は速く航続距離も長いが、飛行安定性が悪く挙動不審な動きをする癖があり機体強度が弱く後部燃料タンクに重大な欠点があり操縦の仕方を誤ると空中分解や操縦不能になる危険性をいつもはらんでおり、操縦上いろいろな制約が多くあった。
    そういう理由でどの戦闘機パイロットたちも自分の命を預けるには不安感が強かったためだ。
    地上攻撃機として使われることになったP-51(A-36アパッチ)が誕生したのは1940年と零戦より僅かに1年後なだけだがイギリスからの様々なアドバイスや技術協力により生まれ変わったP-51Dムスタングが誕生したのは第二次大戦も終わりに近付いた1944年になってからです。
    この頃にはドイツ軍も日本軍もかなり軍事力が衰えていたためP-51Dムスタングが大量に撃墜される悲劇が避けられただけなのです。対戦する敵戦闘機がほとんどいなくなっていたためP-51Dムスタングは駅や民家、一般市民などに対して機銃掃射をしてまわり戦争犯罪といわれても言い逃れ出来ないような悪行の限りを尽くしていました。
    このようにして機銃掃射された側の生き証人が昨年末ドキュメンタリー番組に出演されていました。
    これが最優秀戦闘機と評価された戦闘機の正体でした。

    画像は19年前、茨城県竜ヶ崎飛行場から飛び立ったプレーンズオブフェイム博物館の零戦五二型とP-51Dムスタングのデモンストレーション飛行の様子です。
    低空で急旋回、2機共お互いにこのまま相手側に旋回して接近すれば飛行性能の違いから(零戦よりP-51Dムスタングの方が大回りになる)ションベン弾になる(遠心力により旋回円の外側へ放物線を描く)20mm機関弾であってもP-51Dムスタングがバラバラに撃墜されそうなポジションです。
    でもこれはあくまでもデモンストレーション飛行です。
    もう一枚の画像は同じくP-51Dムスタングの後方に付いた零戦五二型です。
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