戦国シリーズ母里友信(モリトモノブ)1556? 〜 1615?)
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織田信長に叛旗を翻した荒木村重により主君・黒田孝高が捕らえられた際は、留守中一番に連著起請文に署名して、かわらぬ忠誠を誓う等、武士として武勇・忠義の両面で鏡の様な人物な〜んて噂になっとるがや、、、、、(≧ω≦)b黒田孝高が豊臣秀吉の賤ヶ岳の七本槍に倣って、我殿(黒田)が自らの家臣の中より選び出した24人「黒田二十四騎」に名を挙げられ、且つ、その中でも選りすぐりの八人「黒田八騎」にも選ばれとる訳よ、そんでもって、黒田孝高に従って中国地方・四国地方を転戦して九州征伐にて一番槍を挙げた事から、黒田孝高の豊前中津入国時に6000石を頂戴したがな。
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朝鮮の役でも参加して33もの首級を上げ、関ヶ原の戦いでは義兄(ワシの嫁が大友宗麟の娘)←まぁ桜子さんほど、美人じゃないけんど、大友義統の大友家再興の夢を打ち破る大活躍よ、、戦後、黒田長政が豊前中津から筑前名島に加増された際には、鷹取18000石という大名級の知行を拝領したがな。
ワシが挙げた首級76は黒田家中の最高記録やそうな、。ガハハハ、カンラカンラ、まぁその首の中に足軽も入っちょったけど、
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わしの性格は、実直で、豪胆で、一度言った事は言い張り続ける頑固なところがあるが、黒田長政に対して裏表の無い諫言をする、といった豪放磊落な豪傑タイプな武将と。ちまたでは、噂よ、それに比べ、後藤基次は武勇においてはワシと双璧とされながらも何かと主君・黒田長政の気に障る事を仕出かしていた基次と異なり、わしゃ主君・黒田長政に嫌われる事なく厚遇されたバイ。
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日本号と黒田節
文禄・慶長の役休戦中の事や。
京都伏見に滞在していた福島正則の元へ、黒田長政の使者としてワシが使わされる事となったたい。なんでワシが福島正則の相手せにゃいかんの、
酒豪として知られた福島正則の相手に同じく酒豪で知られたワシだから選んでおきながらも、不安を覚えた殿黒田長政は、しかしワシに対して。禁酒を言い渡した上で送り出したのだったが、案の定、福島正則は朝から酒宴を張っちょった。
酒豪として知られるワシが来訪したとあって福島正則は役目も気にせずに、酒を勧めたが、主君からの言いつけを守らんとするわしに、これを固辞し続けたところ、
飲み干せたならば好きな褒美をとらす
と言って見たり、果てには、酒に弱い黒田武士は腰抜けばかりの役立たず、と酔っ払いにしても空気読めない発言に、自分はおろか家中の者まで馬鹿にされたと怒り心頭した、(う"〜っ福島のヤロ〜)
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ワシは、、直径一尺にも及ぶ朱塗りの酒盃に注がれた酒を続けて三杯も飲み干し、その褒美として、正親町天皇から足利義輝、織田信長そして豊臣秀吉と渡って福島正則が拝領したレアアイテム「日本号」の天下無双の名槍を所望したがな。
完全に酔っ払っていた福島正則だったが禁裏に所蔵されていた事もあるレアアイテムとあって出し渋ったところ、わしゃ、
武士に二言は無いハズ、
との言葉に、ぐうの音も出なくなった福島正則は、諦めて日本号をわしに渡したとよ、。
わしゃ、日本号を担いで黒田藩歌の「筑前今様」を吟じながらゆうゆうと帰っていったがな、この逸話が後に「黒田節」=黒田武士として謡われる事になったバイ。
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ここから万次郎の、くだりです、またまちがってましたら、ご指摘ください、、このエピソードにより、「日本号」には「呑み取り槍」の別名がついてしまったとか。
「酒は呑め呑め 呑ぉむぅならば〜ぁ、 日本一(ひのもといち)のぉこの槍を〜 呑み取るほどに呑むならば これぞ真のぉ黒田武士ィ〜
私は歌が苦手や
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黒田家に長年、武勇で尽くしてきた友信ですが、1615年、重い病にかかり、いよいよ余命後わずかという状態になりました。
するとそこに、長年先鋒を共に務めてきた栗山利安が、見舞いに訪れたのです。
枕元に座った利安を見ると、友信は何かを決意したようにうなずくと、体を起こしました。
そして「これまではおこがましいと思い言えなかったが、自分はお主がいたから人となることができたのだ。感謝している」というと利安の手を取り、「エンマ大王の元に行く前にこの言葉を言えてよかった。舌を抜かれてしまっては、お主に感謝の意を伝えることができないからな」と続けたとか。
この言葉を聞いた利安が涙を流すと、友信も感極まったのか泣き始め、最後には二人そろって号泣したと伝えられているようです。
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のちの創作かも、とにかく主君への忠誠心も高い人物であったと言われます。
こう見ていくと、友信には「武士」という表現が、とてもよく当てはまるといえるかもしれませんね、
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サイトからの抜粋と、私のフィクションです、
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|・ω・) いないな・・・
|ノ/ ヌンチャク振るなら| 今のうち
ヒュン ∧マ∧
く(・ω・)ノホォアタタタヒュン ミ∠/└/彡
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ゴン /(~ω~) オァタ!
Lノ/ /」
ノ ̄ヽ
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初陣を飾ったのは印南野の合戦、以降、黒田家の先手大将を栗山利安と共に務めて数々の武功を上げたとよ、負け知らずやな、、、、(〃▽〃)