ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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皆さん、こんばんは。(゚▽゚)/
その成形炸薬弾頭を装備したバズーカや対戦車ロケット弾に対抗するために使われるという外付けの板のような爆薬入りの箱はイスラムが開発したブレザーというERA(エクスプローシブ・リアクティブ・アーマーの略称です)です。
中東戦争でシリア軍の歩兵携帯型ロケット弾により戦車部隊が壊滅状態にさせられたイスラム軍が研究に研究を重ね世界で初めて実用化したものでした。
その後世界各国が真似て作るようになり現在に至っています。
ERA開発以前の話ですが、戦車の発達でいうと第二次大戦中のドイツ軍のⅣ号戦車を見ていくと非常に興味深いですよ。
元々Ⅳ号戦車はⅢ号戦車を補佐する役割で短砲身の75mm砲を装備して登場しました。
火力支援の補佐役といった位置付けでした。
結果的にはⅣ号戦車はドイツ軍の軍馬的使われ方をしました。
時期毎の様々な脅威に随時対応しながらたくさんの改良型が登場しました。
長砲身化を図ったりスペースド・アーマーなど様々な追加装甲を施したりしてA〜J型まで、その後もソ連がドイツ軍から捕獲したⅣ号戦車をパレスチナ側の国に与えたため中東戦争の時代にまでも実戦使用されていた息の長い戦車でした。Ⅳ号戦車の発達を見ていくと面白いです。
非常に勉強になること間違いないです。 -
そのERA=エクスプローシブ・リアクティブ・アーマーは日本語に訳すと爆発反応性反動装甲といいます。
成形炸薬弾頭のメタルジェットが戦車の本装甲を突き破る前にERAの爆発の爆風によって吹き飛ばすことを目的にしています。 -
395、396の中で文字入力を間違えていました。
イスラム、イスラム軍は間違えで正しくはイスラエル、イスラエル軍です。
ごめんなさい。m(__)m -
0さん今晩はです。いつも勉強させてもらっています。私も四号戦車シリーズが大好きです。
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鉄鋼弾間違えてましたね
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イスと入力して出て来た文字をよく確認せずに入力してしまい気付いたらイスラエルと入れたつもりがイスラムとなっていて、イスラエルのことをイスラムと表現したらまるで違う内容になってしまいます。しかし後の祭りでした。
申し訳ないです。
訂正してお詫びします。
ごめんなさい。m(__)m
シリア軍が大量使用してイスラエル軍戦車部隊を壊滅状態に落とし入れた歩兵携帯型ロケット弾も、現在世界各国で大量装備されている歩兵携帯型ロケット弾も元を正せば第二次大戦中ドイツ軍が使用していたパンツァーファウストの子孫のような関係です。 -
きんたさん、そうです
まさに そのとうりの事がヒストリーチャンネルでやってました、
さすが0さん、詳しくありがとうデス、
Ⅳ号戦車ですね、
調べて勉強します
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サイトよりコピペです
戦車と言えば、「きゅらきゅらきゅら」と音が聞こえますね、画像は冬のロシアで戦うⅣ号戦車F2・G型
しかし東部戦線ではT−34に、西部戦線ではM4に撃破された
「角張って、ちょっとカッコイー戦車
タイガーじゃぁないなぁ
75mmKwK40L43
威力!!」
75mm?そう言えばこのタイガー、ちょっと小さいような気が・・・・・」
ドイツが誇る
Ⅳ号戦車ですね
アミー共は本車をティーガーと勘違いしている。パンター
でさえティーガーと呼んでるほどのレベルしかないのですが。」
いわばドイツの代表戦車ですね。」
Ⅳ号戦車と言えばA〜jカナ?
「Ⅳ号戦車はそもそも75mm砲搭載の20t級支援車両として開発されたもので。当初の名称は7.5cm砲装甲車で、1937年から
Ⅳ号戦車と名称が変更された。量産型のA型は1937年から35両生産され、ポーランド戦から参戦している。
エンジンはマイバッハHL108、時速は31km/hである。砲塔旋回は電気式。」
短砲身はやっぱり弱そうですが
今でこそ75mmKwK37L24は威力が弱いと思えるが、 当時のレベルでは最強の戦車砲
当時は戦車戦など考えもされていなかった。」
日本の97式中戦車もそうですね。ノモンハン事変で最新鋭であったのにBT5にぼろ負け・・・・・」
「イワン共だけは当時37mmが主流の戦車砲に対して、45mm45口径を採用していたとか。」
「当時は貫徹力より榴弾威力が重視されてましたね。戦車は戦線突破用でしたから。Ⅳ号戦車は防御も優れてたのかな?」「装甲厚は全面15mm
。小銃弾・弾片防御
しか考えられてなかった。」
増加試作的なものだからB型からは前面30mmに増加している。」
「いくら短砲身とはいえ、ドイツ戦車はカッコイーですね。」
「B・Cともあまり変わらない。エンジンが排気量の大きいマイバッハHL120に換装されたため、時速40km/hを誇った。」
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ドイツの誇る、Ⅳ号戦車
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Ⅳ号戦車
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月