ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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龍ケ崎飛行場の零戦かいな、めっちゃ懐かしいな。
曇り空の中を水平飛行から垂直上昇を経て艶やかに反転する機動にシビれまくったがな。
この零戦はプレーンオブ フェイムでも展示飛行を見学したけど飛行後、格納庫に入った機体は、カウリングが熱を持ちエンジンからピシピシと音が聞こえ、その拍力に圧倒されたがな。
ボランティアのハイスクールの男の子が目を輝かしながらカウリングから主翼に伝わるエンジンオイルをウエスで拭いていたので拙い英語で話しかけると零戦が大好きで是非、操縦したいので飛行訓練を受けてるとの事やった。
Tシャツに漢字で零戦と書いてやったら大喜びして内緒で操縦席に入らしてもらったけど、当時の搭乗員の事を思い感無量になったなぁ。
アメリカの地で宝物のように大事に扱われていた零戦は神々しばかりの格好良さやった。 -
0さん、素晴らしい画像ありがとうm(__)mです、
胴体に2本線があるのは、なんですか?
私は零戦は、素人なんですみません、
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詳しくはわかりませんが部隊の目印になるマークか、部隊長マークか、二番機のマークか、を摸したものだと思います。
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権兵衛さん、
アメリカで、いい経験されましたね、
羨ましいです、
今や飛行機は、ステルスなど、はかり知れないほど発達してますが、
昭和15〜は、零戦は
画期的な戦闘機だったのでしょうね、
零戦のスタイルに感動し 古い物好きな私は
どんな新しい戦闘機よりも、零戦が大好きです、 -
ヘルシアさん、零戦とは違いますが、陸軍の中島(スバル富士重工の前身)製戦闘機ですけど、サービスでこれも貼りますね。
1973.10.10帰国時の入間基地で飛行中の四式戦闘機疾風Ⅰ甲(Ki84Ⅰ甲)
零戦は千馬力級エンジンでしたが疾風は二千馬力級エンジン戦闘機でした。 -
0さん、ありがとうm(__)mです、
四式戦闘機疾風Ⅰ甲(Ki84Ⅰ甲)
なんか零戦と似ていますね、
プロペラ機のボディの日の丸、がたまりませんね、
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零戦の機体に描かれた二本の白線は編隊長機の印しで味方機からも視認良好ながら、敵機からは格好の目標にされるので熟練指揮官が搭乗する場合が多かったんやな。
写真の疾風はアメリカより購入した後、長い間、宇都宮市の富士重工業に保管され、この時に飛行第47戦隊の整備隊長であった刈谷陸軍大尉が同機を点検したところ、簡単な整備でフライアブリ状態になるとの判断やった。
しかし経年劣化の対策が行われないまま飛行不可となったのは至極残念やな。
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権兵衛さん、凄い知識私は何となく、『零戦燃ゆ』の映画見て、かっこいいなぁ、と感じる程度の知識
0さんの画像、四式戦闘機疾風Ⅰ甲(Ki84Ⅰ甲)は低空飛行で、着陸寸前かと思いましたが、機体が傾いているので、地面スレスレで、また上昇みたいで、
たまりませんね
胸がジンジンし 鳥肌が立ちます、 -
零戦各型のほとんど大半は中島飛行機製の栄エンジンを使用していました。
栄エンジンは複列星型14気筒空冷エンジンで千馬力級エンジンでは信頼性は非常に高いエンジンでした。
太平洋戦争の前半の零戦の敵戦闘機は千馬力級エンジン戦闘機ばかりでしたが、その後続々と現れた敵戦闘機は軒並み二千馬力級エンジンの戦闘機ばかりでエンジンパワーの差という面で非常に苦戦を強いられました。
日本の二千馬力級エンジンとして過度の期待を背負わされたのが海軍の紫電改、陸軍の疾風に使われて有名だった中島飛行機製の誉エンジンでした。
誉エンジンは傑作であった栄エンジンをベースにして作り上げられた複列星型18気筒空冷エンジンでした。
誉エンジンの最大の売りは千馬力級エンジンとあまり変わらない小さな直径なのに二千馬力級の力が出せるエンジンであるということでした。
だから同じ二千馬力級エンジン戦闘機でも誉エンジンを使用した日本の戦闘機はアメリカ製戦闘機よりも前面面積を小さくすることが可能となっていました。
ただ問題点はハイオク仕様だった点です。
日本の技術者たちは軍部に対して誉エンジンが素晴らしい動力性能を出すためにはオクタン価の高い燃料が必要不可欠ですよと散々釘を刺していました。
しかし、技術者たちの説明は良く理解しないままにカタログデータのみに目を奪われ誉エンジンに惚れ込んでしまった軍上層部は造る軍用機、造る軍用機にとにかく誉エンジンを積みたがり誉を積め誉を積めと命令しました。
規定の環境をちゃんと整えた上で正しく運用された場合は誉エンジンは素晴らしい性能を発揮出来るエンジンでしたが、戦局は悪化し燃料は元より物資は急速に不足していく中、規定された環境など整えられるはずもなく誉エンジンを積んだ軍用機は軒並み故障や不調が多発し大混乱となりました。
これはひとえに甘い見識しかなかった軍上層部の責任でした。
いかに高性能な物でも指揮する者が愚かなら台なしになる実例でした。 -
零戦があまりに万能に何にでも使えて傑作だったことは軍上層部に不必要な安心感を与えてしまい後継機開発が後回し後回しにされる悪循環を生みました。
誉エンジンに対する過度の期待も安心感からでしたが後継機開発後回し現象も零戦に対する安心感からでした。
例によって軍上層部は零戦の後継機 烈風にも誉エンジンを積むように命令しました。
物資不足状態の時期に造られた誉エンジンは本来の高性能を発揮出来ておらず、そんな状態の誉エンジンを積んだ烈風は低い性能しか出せず開発関係者を落胆させました。
そこで三菱側は軍上層部は反対していましたが三菱側が自腹で自社製二千馬力級エンジンであるハ-43(誉エンジンよりは直径が若干大きい)に積み替え烈風をテストしたところ軒並み性能は改善され計画要求値を満たしました。
これを聞いた軍上層部は大喜びし直ちに正式採用されましたが既に終戦は直ぐそばでした。
同じようなことはたくさんあったようです。
浅はかな者を指導者に据えてはいけないという実例であり戒めでもあります。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月