• 678
    2014/08/17(日) 17:36:44 ID:43lJfl3MO
    大和ミュージアム行ったことないので私もいつかは行ってみたいです。
    鐡の鯨館の実物の潜水艦(海上自衛隊を退役した潜水艦で最新型より数世代前の涙滴型潜水艦)も見てみたいです。
    スクリューなど機密が盗まれては困る特定の部分はダミーに付け替えて陸上展示されているらしいですけど見てみたいです。
    海上自衛隊の潜水艦は特定のヨーロッパの国々や韓国の潜水艦のような沿岸警備用小型潜水艦とは違って外洋に出て行くための航洋型潜水艦なので陸上展示してあれば大迫力だろうと思います。


    当時の日本の技術力を結集して開発建造された大和級戦艦ですが、アメリカ軍は太平洋戦争前からスパイ活動によってその存在を既に知っていました。
    1941年には1番艦が完成していたことも知っていましたが、艦名は「紀伊」だと思い込んでいました。
    この日本の新型戦艦の存在は早くから知っており詳細なイラストまで描きテクニカル・インテリジェンス・リポート(アメリカ海軍情報部の技術情報報告書)も作成されていました。
    武装配置や全体の概要まで実際の大和級戦艦の内容をズバリ言い当てたような正確さだったのですが、肝心かなめの船体が全体的にスリムで主砲の大きさも誤っていました。
    戦争末期には大和級戦艦の元乗組員まで捕虜にして尋問し、大和級戦艦の主砲は46cm砲であり9門搭載しているとの情報を得ていたにもかかわらず日本人に46cm砲なんて造れるはずがないとしてアメリカ人は信じませんでした。


    そのイラストはどこかで見た記憶がありネット上にあるだろうと思い探してみましたが、結局見付からず、書籍から写真撮りしました。
    それを貼りますね。
    そしてそれと合わせて次に実際の大和級戦艦初期のイラストも貼っておきますね。
    比較して見て下さい。
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  • 679
    2014/08/17(日) 17:46:14 ID:43lJfl3MO
    ここでハッキリ見えて来るのが当時の日本人に対するアメリカ人の見下した偏見です。
    自分たちアメリカ人が開発出来なかったものや開発困難だったものは日本人には造れるはずがないという偏見が確実に存在していたのでした。
    零戦のことを思い知った時のアメリカ人の反応もこれと全く同様の反応でした。自分たちアメリカ人が作り出せなかった零戦のような戦闘機を日本人が造れるはずがないという偏見でした。
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  • 680
    2014/08/17(日) 22:26:38 ID:43lJfl3MO
    しかし、日本人が大和級戦艦や零戦を作り出せていたのは目の前の現実であり、それを使い命をかけて自分より遥かに強大な国だと判っているはずのアメリカ合衆国に戦いを挑みアメリカ人を苦境に立たせていたことが何よりの真実でした。
    こうして「日本人ここにあり」という強烈なイメージをアメリカ人に知らしめたことにより日本人のことを見下し馬鹿にしていたアメリカ人も日本人の何たるかを知りチッポケな島国の住人と過小評価して馬鹿にすることの危うさを実感させられたのだと思います。
    そういう経緯(私たちの先人が行った太平洋戦争)により日本人に対するアメリカ人の対し方も大きく変わり今があるのだと思います。
    人間にとって戦争というものは良いものではない。
    しかし、時と場合によれば自分たちの活路をなくさないために降り懸かる火の粉を振り払うための戦いをしなければならない時もある。
    ということを私たちの先人たちは教えてくれているのだと思います。
    一番良くない、卑怯で見苦しいのは自分たちは何も出来ず何もせずにいた者が戦争が終わった後になってからアレコレ偉そうにいう行為だと思います。
    当時自分たちは何も出来なかったくせにです。


    サマール沖海戦時、アメリカ機から撮影された戦艦大和の姿(後方には金剛級戦艦の姿も写っています)をカラー化した写真を貼りますね。
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