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皆さんこんばんは。
(゚▽゚)/
太平洋戦争の後半戦で日本の若者たちが自分の命と引き換えに体当たり攻撃で敵を倒そうとした神風特攻隊。
これを立案推進した軍の上層部の人たちの中にも無責任なままにしなかった人たちもいました。
今回はこのことについて書きます。
終戦直後、宇垣纏海軍中将は彗星三三に乗りアメリカ海軍の艦艇へ特攻をかけて最期を迎えました。
この件については若い命を従えて同行させ無駄死にさせたなどの批判の声もありましたが多くの若者を特攻させてしまった命令をした指揮官の立場として自分の命をかけてまで責任をとったその行いは他の軍上層部の連中に比べれば天と地ほどの差があり、偉い行いだと思います。
作戦としては外道としながらも特攻隊の立案推進をした大西瀧治郎海軍中将も終戦直後に切腹自殺をしました。
多くの若者を特攻させた責任をとっての切腹自殺であり介錯を拒んだため5時間あまり苦しんだ末に亡くなりました。
太平洋戦争当時、好き勝手放題なことをして特権を振りかざしてばかりの軍部の者たちがいた。
これは誰が何といおうとも事実です。
しかしそんな中にあっても物事を無責任なままにしなかった立派な軍人さんたちもいたことを忘れてはならないでしょう。


参考画像として
昭和20年8月15日、艦爆彗星三三型に乗り特攻して行った宇垣纏海軍中将、その直前写真。
大西瀧治郎海軍中将の写真。
大西瀧治郎海軍中将の切腹自殺を掲載した新聞記事。
を貼ります。

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このように特攻にかかわった人たちの命をかけた戦いのお陰で今の日本がある。
そう思うと手を合わせずにはいられません。


ちなみに命を引き換えに体当たり攻撃で相手を倒そうとする攻撃方法の世界的代名詞となった神風ですが、これを行ったのは日本が最初ではなく初めて行ったのはソ連軍でその名は「タラーン」奇しくも神風と似た嵐という意味でした。

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