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零戦が開発された経緯の一つとして長距離進攻作戦に従事する為の性能要項と言われてるけど実際は、艦隊上空を6時間以上に渡り哨戒し、襲来する敵攻撃機を撃破するもので20ミリ機銃装備もそれに合致した指示やってんな。
つまり空母に搭載するための戦闘機で当初は千機程度の生産と見積もられていた為、コストの高い大型金型を用いる事なく熟練工員達による
手作業に近い工法で
工芸品のように製作されていたんやな。
各工程の要所には神業級の技術を持った職工が腕前を発揮しそれに倣うように熟練工員が従事しとった訳やな。
アメリカと比べあらゆる根幹となる基礎工業力が劣る日本では洗練された設計により、複雑なアールを描こうとも鋭い空力特性を追及するのが必須やったんやろな。
アメリカの航空技術を急速に吸収していった日本の技術者達はアメリカの底力を熟知し、自ずと身を削るような創意工夫
の後に誕生したのが零戦なんや。
余談ながら零戦はレイセンと呼ぶのが正しいとする向きもあるけど、海軍では普通にゼロセンと呼ばれていたんやな。
これは戦前でも一般的に0をゼロと言うのが普通やったからやねんな。
零戦のエンジンを起動する時の掛け声は英語が用いられてるし、英海軍をお手本とする海軍自体が英語を多用しとったんやな。
せやから零戦を正しくはレイセンと呼ぶんやと言うのは、エセマニアっ言うこっちゃな。
まぁ一時期にせよ米戦闘機を凌駕した大空の王者零戦は、老いたり言え質量共に優勢な敵機に善戦を重ねたその勇姿の滅びの美学に琴線が触れるかも知らんな。
しかし滅びの美学で終わらんかったんが零戦の零戦たる所以なんや。
零戦開発に従事した技術者や関連会社が戦後、失われた大切な珠玉を取り戻すかのように日本の復興に尽力し、技術立国として今に至る訳や。

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