-
信濃は110号艦、紀伊は111号艦とされていました。
111号艦も起工はされましたが、ほどなくして建造は中止されました。
それから大和級戦艦の三番目の戦艦になる予定だった信濃用の46cm主砲は準備されていて、これは試作中だった50.8cm砲と共にアメリカが戦利品として持ち去ったそうです。
そして信濃用に用意されていた46cm主砲の砲塔の一番分厚い装甲板、前楯(厚さ650mmの特殊装甲)をアメリカの40.6cm砲弾で貫通させたものがアメリカ国内に現在でもモニュメントととして屋外展示されているそうです。
あの狭い面積に穴を空けてあるところを見ると遠距離から命中させたものではなく、かなり近い距離から据え撃ちしたのは間違いないでしょう。
実際の戦場では近くに近付く遥か前から撃ち合いは始まりますから戦艦同士が敵艦の直ぐ目の前で据え撃ち出来る環境は事実上有り得ません。
自分が戦争で負かしたはずの相手である日本の兵器の技術がたとえ一つでも自分たちより優れていたことを当時のアメリカ人はぜがひでも認めたくなかったのでしょうね。
駄々をこねる子供みたいな行いです。
その証拠にみせしめモニュメントを作るための射撃はしても日本から持ち去った46cm砲や50.8cm砲の性能をテストするための試験射撃は行われていないようです。
真珠湾攻撃のことを騙し討ちだとして日本をアンフェアだと言い続けて来たアメリカ、しかしアメリカのこの実際有り得ない環境で無理矢理モニュメントを作り出すやり方こそアンフェアだと私は思います。
これら日本から持ち去られた46cm砲、50.8cm砲その他の周辺機材は今もアメリカ国内のどこかに眠っているのでしょうね。
あの空母信濃側面のカラー化写真の元写真(良く見ると船体規模と艦種を敵に誤認させるための欺瞞迷彩塗装を施した空母信濃のモノクロ写真)と側面スケッチと空母信濃と戦艦大和の対比図を貼りますね。
戦後長い間、空母信濃の写真は残されていないとされていて唯一詳細に描かれた側面スケッチがあるのみという状態でした。
しかし、2000年代に入った直ぐだったか、その前後あたりで唯一の写真が一枚発見されたということで公開されたのがこのモノクロの側面写真でした。
だから公開されているものとしては現在のところこの写真以外に空母信濃の写真は存在していないはずです。
元来、軍艦というものは艦内を無数の部屋に仕切り、それぞれの部屋の気密化を図り防水区画化してもしもの時でも沈み難くしてあるのが普通です。
特に戦艦はその防水区画数が多く設定される艦種です。
戦艦は基本的には大事な部分を出来得る限り強靭かつ分厚い装甲板で覆い敵の攻撃から守りますが、これと併用するかたちで防水区画数を多くして防御力を高めているものです。
どこかのある場所が敵弾を被弾して破壊された場合はその区画との境になる扉を閉鎖してそれ以外の区画への浸水を防ぎ沈没しないようにする。
いわゆる、ダメージコントロール(戦う上で自分の艦だけ無傷でいられるということは現実的には有り得ない、なにがしかの損傷は受けるものと割り切り、損傷を受けた場合にも出来るだけその被害を極限させようという考え方)の一つの手段です。
そこに注排水設備を併せて備え水平バランスをとれるようにしてありました。
空母信濃も元々が大和級戦艦の船体を使用していたので空母化により防水区画数は減らされていたとしても基本的には大和級戦艦につぎ沈み難い軍艦であるはずでした。
しかし、前述の通り水密試験や注排水設備のテストが省略され行われておらず乗っていた乗員も不慣れな人が大多数だったために魚雷4本程度の命中であっけなく沈んでしまったのでした。
戦闘機用エンジンとして過度に期待された誉エンジンと全く同じで、やっぱり仕様はいくら高性能でもちゃんと作られていることを確認出来ていなければ絵に描いた餅と同じということですね。
海軍も陸軍も当時の日本の軍上層部の見通しの甘さに起因する不手際は残念な話ばかりです。
全ては重責を担っているはずのお偉い方々の無責任なものの考え方から来ていると思います。
今後の日本では同じようなことは繰り返されないよう望みたいものですね。