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零戦三二型は日本や世界中に保存展示されている零戦の中でも数が少なく元々希少。
新しい型のエンジンに換装し主翼を短くしたことにより速力、上昇力、加速性能、横転性能は確かに向上したのですが、その代償として航続距離が短くなり旋回性能が若干低下したため、これを嫌うパイロットも居たそうです。
しかし、他方ではこの零戦三二型の性能の方が良いとして好むパイロットも居たそうですからそこは乗るパイロットの好みの差というか使い方、戦い方の選択の違いなのだと思われます。
敵対していた当時のアメリカ軍戦闘機は軒並み重戦的性格に作られた戦闘機ばかりでしたから軽戦的性格(横の戦闘に強い戦闘機)を好むのか?重戦的性格(縦の戦闘に強い戦闘機)を好むのか?次第で大きく評価が分かれるところです。 -
当時の日本の戦闘機のものづくりとしての考え方は先ず第一は小回りの利く機動性能ありきでその他の性能項目は二番目以降にされていました。
そのため不思議な話ではありますが当時の軍が審査する際は戦闘機とは全く違う別の用途に使う軍用機でも何故か小回りの利きはどうかというところまで評価の対象とされていました。
そのようにして作られていた日本製戦闘機は横の戦闘に強いため外国製戦闘機と対戦した場合に空中戦を行うと勝つのがほとんどでした。
太平洋戦争の前半戦で外国製戦闘機がバタバタと落とされまくったのはこれが理由でした。
しかし後半戦になると外国製戦闘機は横の戦闘には巻き込まれないように避けて縦の戦闘を仕掛けて来るように全面転換して来たため形勢が逆転し日本は負け戦に転じることになりました。
横の戦闘とは巴戦でありドッグファイトであり俗にいわれる空中戦のこと。
縦の戦闘とは一撃離脱戦法でありロッテ戦法もサッチ・ウィーブ戦法も基本的には一撃離脱戦法の一種。
要は太平洋戦争後半戦アメリカ軍戦闘機は空中戦をしなくなり、上空から勢い付けて高速で迫り撃っては逃げ撃っては逃げを繰り返す戦い方に大転換したというのが事実でした。 -
日本の当時の戦闘機パイロットの間では昔からの巴戦の性能を重視する人たちが大多数ではありましたが実際に対峙した敵国の戦闘機パイロットの戦い方を目の当たりにして一撃離脱戦法に適した戦闘機が良いと考える者や一撃離脱戦法にも適し巴戦にも適した戦闘機が良いと考える者など昔ながらの戦法だけにとらわれずいろいろと主張する者が現れていたのは確かでした。
それでもその頃にはそれらに十分に応えてやるだけの余裕が日本にはなくなっていました。 -
そういう苦しい戦局の中にあって計画、開発、生産をする側も只々、手をこまねいていたわけではなく予定は遅れつつも新型戦闘機を作る努力は続けられていました。
そうして陸軍(代表でいえば疾風)でも海軍(代表でいえば紫電改)でもそれぞれに一撃離脱戦法にも適し巴戦にも適した新型戦闘機を送り出し始めていたのですが国力の衰えた日本にとって十分な品質と十分な数を揃えてやるのは至難の技であり敗戦する結果となりました。
しかしそれらの新型戦闘機はアメリカ軍側でテストされそのほとんどが高い評価を受けていました。
総じて品質の良い物資を使い数を揃えられていたらアメリカ軍側に相当な被害があったに違いないと驚愕されていたのが事実でした。
それら諸々のことがあり戦争で日本に勝ったとはいえそういう部分では日本に対する敬意をはらっているアメリカ人もそれなりに居るということでしょう。
実際に飛行可能な零戦自体は希少なものです。
そしてその中にあって更に更に希少な存在になりそうなのがオリジナル栄二一型エンジンを搭載して飛行可能状態にしようと計画されている零戦三二型です。
今現在は飛行可能な零戦三二型は世界中どこを探しても一機も存在していませんからね。
(零戦三二型…栄二一型エンジンに換装し動力性能向上を狙い、主翼端を切り主翼を短くして横転性能と高速性能の向上を狙った型。当時のアメリカ軍は他の型の零戦とはまるで別機種だと思い込んでゼロ/ジークとは違うハンプという別の名称で呼んでいました。)
期待が高まります。
ロシアに送って再生した零戦二二型一号機/二号機/三号機の写真
零戦三二型のカラー化写真
アメリカ軍による飛行テスト中の零戦三二型写真
を貼ります。