-
-
「タラーン」とは奇しくも嵐とか旋風とか神風と似た意味の呼び名でした。
独ソ戦が始まった際、当時最新の軍用機を投入していたドイツ軍に対しソ連軍の軍用機のほとんどは大多数の複葉機を含む旧式機ばかりでした。
圧倒的な新旧の差により歯が立たないことを悟ったソ連軍は旧式機で近付き体当たり攻撃する戦法を始めたのでした。
組織的ではなかったと言われていますが1000件近くの体当たり攻撃が行われたそうです。
国や軍の無能無策により他に有効な戦闘手段がないと考えての追い詰められた状況だったのだと言えます。
だから誇って言えるような話ではなかったというわけです。 -
ドイツ軍がメッサーシュミットBf109やユンカースJu87スツーカやハインケルHe111などを投入していたのに対しソ連軍はポリカルポフI-15やI-16などという旧式機で立ち向かっていたわけですから可哀相といえば可哀相な状況でした。
逆に言えばソ連軍は旧式機を大量に保有していたためドイツ軍戦闘機にバッタバッタと撃墜されたことにより異常な数の撃墜機数のスコアを持つ撃墜王がドイツ軍の中に多数生まれたのでした。
しかしながら特攻というのは何も日本が最初ではありませんし戦う行動としてはとても褒められたものではなく最悪の戦闘行動ということになります。
この認識は世界中ほぼ同じです。
特攻というのは国や軍がいかに無能で無策であったかの証拠なのです。
ちなみに世界初の航空機による特攻は日本ではなく旧ソ連が昭和16年秋頃にスターリングラード攻防戦でドイツ軍の爆撃機などに航空機で体当たり攻撃したのが最初でした。
「タラーン」とよばれる特攻でした。
あまり知られていないのは特攻自体が国の恥だという認識が強かったため宣伝自体行われなかったからです。
国に殉じたという思いはありながらも恥だという認識が世界中の人々の大多数の認識なのです。