ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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北朝鮮は付き合い方次第によれば日本にとって有益な存在にもなる可能性はありますね。
但し、接し方を誤れば気違いのような行動をとる可能性もありそう。
北朝鮮と韓国を見比べると大半の人々が北朝鮮は立ち遅れていて韓国の方が圧倒的に近代国家だと思っていそうですが、局部的な比較をすればロケットや宇宙開発技術を見ると北朝鮮の方が遥かに上をいっているようです。
最近の韓国社会を見ていると急げ急げで外国製技術をパクりまくって上辺だけ先進国を装っていたメッキがあちらこちらの分野で剥がれ出し韓国社会全体自体の信用そのものが根底から崩れ出しています。
韓国は衛星も持ち先進国のような振る舞いをしていますが、その真実の姿は一度たりとも自前の技術で打ち上げに成功したこともない宇宙開発技術に立ち遅れた国なのです。
アメリカに打ち上げてもらい、フランスに打ち上げてもらい、日本にも打ち上げてもらい、使用している衛星は全て先進諸外国に打ち上げてもらったものばかりです。
韓国が自前の技術だと鼻高々に宣伝して世界中に輸出している工業製品もそれに必要不可欠なキーになる部分は全て先進国から輸入した部品に大きく依存しておりスマホでも車でも日本に対する依存度はかなり高いものがあるのですが、それを公表はせずに隠しているだけなのです。
地道な努力や苦労もろくにして来なかった国が短期間のうちに高性能な工業製品を量産出来るようになったというのは虫のいいお話であり現実には有り得ないというのが隠された真実なのです。 -
>>530 皆さん今晩は。 ラッパロ条約でしたかね?戦車開発が禁じられたドイツがソ連と結んだのは。国際政治は複雑怪奇先日のノルマンディに集まった方々も
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私は条約名までは知りませんでしたが、内容的には第一次大戦に敗れたドイツは戦車開発や軍用機開発を禁じられており秘密で行われたソビエトとの密約により他国からの監視の目の届かないソビエト領内のカザン戦車学校で戦車開発や軍事演習などを行っていたという素地があったためベルサイユ条約を破棄し再軍備宣言をした後もスムーズな再軍備が可能となっていたということですね。
ドイツとソビエトどちらも西側諸国からしいたげられ孤立状態になっていて当時の現状に不満を持っていたためその状態を解消しようとして協力関係を持つに至りました。
ドイツは兵器開発の空白と軍事力の弱体化を嫌い、ソビエトはロシア革命の影響で弱体化したソビエト軍を再度強化したかった。
カザン戦車学校に送り込まれたドイツ軍将校はドイツ軍ソビエト軍の区別なく教育を施したといわれています。
両国ともに利害が一致していたということ。
しかし、ソビエト嫌いのヒトラー総統がドイツの政権をとりドイツが疎遠だったイギリスやフランスと接近するようになるとドイツとソビエトは疎遠となりやがては関係の解消へとなりました。
昔も現在も根底にあるものは変わらないと思えるのがやはり国際関係は表向きの顔とは別に利害の一致というものによって複雑化し予想外の関係をももたらすということでしょう。 -
最近の動きとして中国はアメリカを牽制する目的で下手な動きはするなよと言わんばかりにロシアとの親密さをアピール。
ロシアはウクライナ問題であれこれ口出しされたくないのでアメリカを牽制する目的で中国と親密な関係であることを演出。
しかし、この二ヵ国、本当に相思相愛かといえば実はわからない。
親密そうに見える関係も上辺だけ。
今のところは利害の一致をみているが、いつまで続くのかは極めて不透明。 -
現代社会に生きる私たちにとって今の世界情勢、特に緊迫の度合いを強める最近のアジア情勢は大事な事柄です。
しかし、話がちょっとスレタイトルから離れてしまったので零戦関連に戻って零戦の戦場写真を二枚貼ります。
まだ真夏でもないのに最近は暑い日が続いていますので皆さん水分補給はこまめに行って下さいね。
ということで
・南方の恵み椰子の実で水分補給をする南方進出零戦部隊。(写っている零戦は二一型)
・南の島の波打際で燃料補給中の中島製二式水上戦闘機。(飛行場を設けられないような点在する小島の防衛を目的に零戦二一型をベースにして中島飛行機が作り出したのが二式水上戦闘機でした)
日本海軍はこの目的のために川西飛行機に対し水上戦闘機「強風」を作るよう指示しており、これが完成するまでの繋ぎとして作られたのが二式水上戦闘機でした。
繋ぎのはずの二式水上戦闘機でしたが、優秀だったため少量生産の予定に反してたくさん生産されました。
川西飛行機の水上戦闘機「強風」は後に改良されて局地戦闘機「紫電」になり、それを更に改良して局地戦闘機「紫電改」が作られ零戦の後継機「烈風」を実用化出来ずにいた太平洋戦争末期の日本海軍戦闘機部隊を支えました。 -
↑一部間違えてました。
二式水上戦闘機のベースとなった機体は零戦二一型ではなく零戦一一型でした。
ごめんなさい。m(__)m
略して二式水戦、通称:下駄履き零戦こと二式水上戦闘機はフロートが付いているので滑走路がなくても海上がどこでも滑走路代わりに使える点が最大の利点であり飛行場が造れないような地形や小さな島々での防空や海上交通路での輸送船団の上空援護などに使用されました。
幅広い汎用性があった半面、フロートが付いているぶん戦闘機単体としての性能ではフロートなしの戦闘機と比較すると不利なところもありました。
しかし、フロート付きの水上戦闘機としては性能が高く水上戦闘機としては世界最多の327機も生産され南方海域から北は極寒のアリューシャン列島まで幅広い範囲で使用されました。
そのぶん台風や嵐やおおしけなどの激しい気性環境により失われた数が多かったといいます。
アメリカやイギリスでも水上戦闘機は造られはしましたが、いずれも日本の二式水上戦闘機ほどの性能は出せず、テスト機レベルでおわり採用されるところまでは行きませんでした。
参考写真を貼ります。
・飛行中の日本の中島二式水上戦闘機
・水上滑走中のアメリカのグラマンF4F-3S水上戦闘機
・飛行中のイギリスのスーパーマーリン・スピットファイアMk.Ⅴb水上戦闘機型(Mk.Ⅴb=bウィング仕様の五型という意味)
ぱっと見てもアメリカ機、イギリス機には工夫がほとんど見られず、日本機には独創的な工夫がありありと見て取れます。
在り来りのことをしていては高い性能は得られないことを体言しているようです。 -
大きなフロートを二つもぶら下げていたら性能が急低下して元のベース機体がどんなに高性能でも低性能機になるのは当然なのでしかたない結果です。
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なんといっても、
零戦は、我々日本人の
誇りですね、
胸が熱くなります、
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余談ですが、先程タイムスクープハンターというテレビを
見ていたら
世界最古の眼鏡(鼻にかけるタイプ) ドイツで発明者ひ不明ですが
ドイツのウィーンハウゼン修道院 所蔵
14世紀後半だそうで、
日本に眼鏡が持ち込まれたのは
1551年 フランシスコザビエルによって日本に持ち込まれたようです、
余談失礼しました -
現在の眼鏡の鼻に当たる部分の造りは日本人によって付け加えられたもので眼鏡が日本に入って来た時、西洋人に比べ顔の彫りが深くなく顔が平たい日本人が使うにはちょっと使い辛かったために改良を加えたそうです。
それが今では眼鏡の普通の姿になって世界中に普及しているということのようです。
世界中には日本人と同じように顔が平たい人たちがたくさん居ますからこの形で世界中に普及し今に至ったのも納得です。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月