ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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砲身が長いけど
Ⅳ号戦車カナぁ?
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四号戦車はA型B型C型までは、試作もしくは増加試作。D型E型F1型が短砲身型。F2型43口径75㎜砲。G型H型は48口径75㎜砲。最終型の簡易生産型のJ型。それ以外にも、四号突撃砲。パンテルと同じ70口径75㎜砲を搭載した四号駆逐戦車。88㎜砲をオープントップで搭載したナースホルン。150㎜榴弾砲を搭載したフンメル。20㎜四連装機関砲を搭載したメーベルワーゲン、ヴエルヴィルウィンドウ。37㎜機関砲を搭載したオストウィンドウ。等々バリエーションは世界一ではないでしょうか?
あとイタリア戦線で活躍したブルムベアもありました。 -
第一次大戦に敗れ敗戦国となってしまったドイツは戦争に敗れたがゆえに戦勝国から様々な制約(一部領土を奪い取られ、兵器開発の禁止や僅かな軍隊しか持ってはいけないなど)を課せられ多額の賠償金も課せられ辛く厳しい時代におかれることになりました。
戦勝国からの様々な制約を受けながら国としては頑張っては賠償金を払い頑張っては賠償金を払いを繰り返していましたが、その辛く貧しくいつまでたっても良くならない生活にドイツの全国民は嫌気がさしていました。
そんな報われない時代を背景にドイツ国家社会主義労働者党=ナチスドイツが熱狂的な国民の支持を受けて台頭することになりました。
第二次大戦後は一般的にはナチスドイツは悪の塊であるという宣伝活動が氾濫し、それが一番正しいことのように広められています。
この活動は世界中に拡がって住むユダヤ人資本家によるものです。
昔々からユダヤ人資本家は国の違いなど問わず世界中に力を及ぼしていますからね。
ナチスドイツはその正式名称が示す通り戦争で負けることさえなければ常にドイツ国民の事を真剣に考えている党でした。
それは既得権益や賄賂に大きく左右される現代の政党に比べれば段違いに真剣でした。
ナチスドイツは国家ぐるみでの労働の場の提供からインフラの整備やモータリゼーションの推進、それらによって得られた収入をより多く国民へ還元し経済を活性化させるために役人の天下りを禁止し、役人たちや各会社の上層部が収益金をピンハネしないように常に監視して見張るということまで実行していました。
現代の腐敗しきった政党の政治家には彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいに真剣そのものでした。
歴史、政治の話が長くなってしまいましたが、ナチスドイツの台頭と共にドイツは理不尽なベルサイユ条約破棄を宣言し再軍備を始め次々と破竹の勢いでヨーロッパの大半を占領下におく快挙を達成しました。
そこでやめておけばよかったのですが、ヒトラー総統は膨らむドイツの人口を支える領土を拡張する目的で軍隊を東へソ連の領土へと進攻させたためソ連製戦車と戦うはめになりました。
最初は敵は旧式戦車ばかりだったので苦戦することなく進攻しました。
しかし、その後は新型戦車(T-34中戦車、KV-Ⅰ重戦車、KV-Ⅱ重戦車など)が現れ苦戦することとなりました。
中でも大量に進撃して来る高い次元でバランスの取れたT-34中戦車にはドイツ軍戦車も圧倒され「T-34ショック」と呼ばれる一大衝撃を受けています。
この衝撃によって、その後開発されたドイツ製戦車はシルエットからして変貌を遂げ更に強力な戦車へと進化していきました。
T-34中戦車の良い部分をドイツ人なりに理解して出来るだけ取り込み開発されたのがⅤ号戦車パンターやⅥ号戦車ティーガーⅡでした。
T-34中戦車自体は数値的には圧倒的に強力な戦車というわけではなかったのですが、新しい考え方がたくさん盛り込まれており全ての項目が比較的高い数値で完成されていました。
1942年レニングラード付近を行く増加装甲付きT-34中戦車76mm砲搭載1941年生産型の写真を貼ります。
正面からの眺めはまるで山のような姿であり戦車としては正に理想的な外形で造られていたことが一目見ただけでも良く判ります。 -
私は昔から自分独自に世界三大ショックというものを考えていました。
その三つとは…
・ゼロショック
・T-34ショック
・ミグショック
です。
ゼロは日本の零戦のこと。
T-34はソ連のT-34中戦車のこと。
ミグはソ連のMig-15ジェット戦闘機のこと。
いずれの場合もこれらと戦場で遭遇した敵軍があっけに取られるほどにやられまくりショックを受けてその後の自国製兵器には影響が現れたものばかりです。 -
人間というものは失敗を繰り返すことによって成功を勝ち取り進化して行くものです。
その人間が作り出す戦争兵器も敵にやられる経験を積むことにより次に改善改良され高性能化して行くものです。
敵と戦うと必ず敵の優れた部分の影響を受け、次に作る兵器は敵の良いところを取り込んだものになります。
アメリカ軍は太平洋戦争で日本の零戦にやられまくった苦い経験から零戦に対する戦闘方法や零戦を凌駕する性能の戦闘機を作り出そうと躍起になりました。
その後アメリカが作った戦闘機は日本の零戦に影響されたものばかりでした。
第二次大戦の東部戦線でソ連製T-34中戦車にやられまくった苦い経験からドイツ製戦車もその後開発されたものは皆ソ連製T-34中戦車の優れた部分の影響を受けたものばかりでした。
朝鮮戦争でソ連製Mig-15ジェット戦闘機にやられまくった苦い経験からアメリカ軍は第二次大戦で手に入れていたナチスドイツのジェットエンジンと後退翼の技術を急遽アメリカ製ジェット戦闘機に取り入れて作り出したノースアメリカンF86Fセイバーを実戦投入しました。
一足先に同じく奪い取っていたナチスドイツの技術を取り入れていたソ連製Mig-15ジェット戦闘機とそっくり瓜二つの姿でした。
アメリカ人もロシア人も最初から戦争兵器開発に優れていたわけでもなんでもない、こんな感じでしょうね。
最新兵器では注目されることの多いイージス艦も元を辿れば日本人によるカミカゼ特攻隊の必死の体当たり攻撃に曝された苦い経験が元になっていることはあまり語られることはないようですね。 -
0さんおはようございます。 過去の教訓を取り入れて進化しているのですね?機雷と潜水艦による海上封鎖によって苦しめられたから、対潜能力が飛躍的に向上したのですね?掃海部隊は、戦後から実戦が始まったような? 今瀬戸内が安全なのは、彼等のお陰なのですね。朝鮮戦争のインチョン上陸作戦の露払いをしたのもたしか日本でしたよね?
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こんばんは。(゚▽゚)/
太平洋戦争に敗戦し戦勝国アメリカから押し付けられた現在の平和憲法というものがありながらも半ばアメリカ軍に騙され強引にやらされた感じが否めない朝鮮戦争時の日本による機雷掃海活動でした。
そんな経緯もあったため死傷者まで出しながらも確実な成果を残した日本の部隊に対し評価する旨の報告書は残されていますが、経緯が経緯だけにおおっぴらに公表することは避けられているようです。
日本の部隊に白羽の矢がたったのは当時極東地域にはアメリカ軍の掃海艇も熟練者も少なく大半はアメリカ本土にあったのと戦争当事者である韓国海軍自身が未熟なため確実な掃海作業を求めること自体無理だったからでした。
それからアメリカ軍は太平洋戦争末期に港湾を含む日本周辺の海に一万数千個に及ぶ各種タイプの機雷をB-29の数百機編隊で敷設していました。
中には戦争終結予定の時期には機能を停止する時限式機雷もありましたが、それは一部の機雷だけでした。
戦後日本の掃海部隊はそれらの膨大な数の各種タイプの機雷をシラミ潰しに掃海していきました。
おっしゃる通り、現在私たちが港湾を含む日本の海を安全に利用出来るのはそんな日本の掃海部隊の皆さんの尽力のお陰なのです。
それにしても腹が立つのは国際的にも今だに日本の悪口しか言わない韓国人どもの役に立たない不甲斐なさです。
日本に対しては言葉では言い尽くせないほどの様々な恩を受けていながら(今現在でも恩恵を受け続けているのに)大統領や国連事務総長という責任重大な立場にいる者までが礼儀知らずの恩知らずですから韓国人には空いた口が塞がりません。 -
誰も来ないようなので、スレのタイトルに近いジャンルの写真を一枚貼ります。
個人的にはレアな写真だと思います。
編隊飛行中の陸軍三式戦闘機飛燕Ⅰ型の写真の復刻カラー版です。
飛燕は川崎飛行機製の戦闘機で液冷式エンジン(ドイツのダイムラーベンツ製DB601倒立V型12気筒液冷式エンジンを日本の川崎が国産化したハ40)を搭載した戦闘機で究極の軽戦であった海軍の三菱零戦とは対極に位置する重戦に近い性格も併せ持った中戦とでも呼ぶべき戦闘機でした。(重戦と軽戦の長所を併せ持った戦闘機という意味です。)
先の尖ったスリムな胴体とアスペクト比の高い主翼(縦横比が高く細長く主翼幅の広い翼)が特徴のスマートな戦闘機でした。
エンジンさえ信頼性が高ければ… -
低中高度、低中速度域での格闘戦には小回りが効き無敵を誇った零戦もそれらを生み出す重要要素となった軽量化のつけから最大速度が遅く機体強度が弱いという欠点を抱えていました。
零戦もアメリカ軍に捕獲され詳しい調査を受けた後の太平洋戦争中盤戦以降は最大速度が遅く機体強度が弱く防弾装備らしきものは皆無なことを知られてしまい、そのウィークポイントを突かれ苦戦の連続を強いられました。
太平洋戦争前半戦でいとも簡単に撃墜出来ていたアメリカ軍のカーチスP-40キティーホークやグラマンF4Fワイルドキャットにもてこずる始末。
理由は調査で判明した零戦の弱点を突く戦闘方法をとるようになったからでした。
機体強度が貧弱だった零戦は急降下制限速度も630km/hと低く、これを越えて飛行すれば空中分解してしまうためアメリカ軍戦闘機は零戦の急降下制限速度より速い速度で急降下して逃げる術を身につけていました。
日本側もこの欠点は理解しており零戦も改良が重ねられる度に機体強度の強化が図られ最終的には740.8km/hまで引き上げられましたがアメリカ軍新型戦闘機グラマンF6Fヘルキャットなどの急降下制限速度は840km/h前後と更に高い速度でした。
陸軍の三式戦闘機飛燕の急降下制限速度は速度計を振り切り1000km/hを越えるほどに高いものでした。
三式戦闘機飛燕をエンジンだけ空冷式の金星エンジンに換装して成功した五式戦闘機の急降下制限速度は850km/hまでは問題なくかなり頑丈な機体でした。 -
0さん、
こんばんわ〜
久しぶりの零戦の話し
ありがとうm(__)mです、
お隣の国に関しては
0さんの主義主調と 全く同じです。
久しぶりの零戦談話
嬉しいです
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月