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私は昔から自分独自に世界三大ショックというものを考えていました。
その三つとは…
・ゼロショック
・T-34ショック
・ミグショック
です。
ゼロは日本の零戦のこと。
T-34はソ連のT-34中戦車のこと。
ミグはソ連のMig-15ジェット戦闘機のこと。
いずれの場合もこれらと戦場で遭遇した敵軍があっけに取られるほどにやられまくりショックを受けてその後の自国製兵器には影響が現れたものばかりです。 -
人間というものは失敗を繰り返すことによって成功を勝ち取り進化して行くものです。
その人間が作り出す戦争兵器も敵にやられる経験を積むことにより次に改善改良され高性能化して行くものです。
敵と戦うと必ず敵の優れた部分の影響を受け、次に作る兵器は敵の良いところを取り込んだものになります。
アメリカ軍は太平洋戦争で日本の零戦にやられまくった苦い経験から零戦に対する戦闘方法や零戦を凌駕する性能の戦闘機を作り出そうと躍起になりました。
その後アメリカが作った戦闘機は日本の零戦に影響されたものばかりでした。
第二次大戦の東部戦線でソ連製T-34中戦車にやられまくった苦い経験からドイツ製戦車もその後開発されたものは皆ソ連製T-34中戦車の優れた部分の影響を受けたものばかりでした。
朝鮮戦争でソ連製Mig-15ジェット戦闘機にやられまくった苦い経験からアメリカ軍は第二次大戦で手に入れていたナチスドイツのジェットエンジンと後退翼の技術を急遽アメリカ製ジェット戦闘機に取り入れて作り出したノースアメリカンF86Fセイバーを実戦投入しました。
一足先に同じく奪い取っていたナチスドイツの技術を取り入れていたソ連製Mig-15ジェット戦闘機とそっくり瓜二つの姿でした。
アメリカ人もロシア人も最初から戦争兵器開発に優れていたわけでもなんでもない、こんな感じでしょうね。
最新兵器では注目されることの多いイージス艦も元を辿れば日本人によるカミカゼ特攻隊の必死の体当たり攻撃に曝された苦い経験が元になっていることはあまり語られることはないようですね。
戦勝国からの様々な制約を受けながら国としては頑張っては賠償金を払い頑張っては賠償金を払いを繰り返していましたが、その辛く貧しくいつまでたっても良くならない生活にドイツの全国民は嫌気がさしていました。
そんな報われない時代を背景にドイツ国家社会主義労働者党=ナチスドイツが熱狂的な国民の支持を受けて台頭することになりました。
第二次大戦後は一般的にはナチスドイツは悪の塊であるという宣伝活動が氾濫し、それが一番正しいことのように広められています。
この活動は世界中に拡がって住むユダヤ人資本家によるものです。
昔々からユダヤ人資本家は国の違いなど問わず世界中に力を及ぼしていますからね。
ナチスドイツはその正式名称が示す通り戦争で負けることさえなければ常にドイツ国民の事を真剣に考えている党でした。
それは既得権益や賄賂に大きく左右される現代の政党に比べれば段違いに真剣でした。
ナチスドイツは国家ぐるみでの労働の場の提供からインフラの整備やモータリゼーションの推進、それらによって得られた収入をより多く国民へ還元し経済を活性化させるために役人の天下りを禁止し、役人たちや各会社の上層部が収益金をピンハネしないように常に監視して見張るということまで実行していました。
現代の腐敗しきった政党の政治家には彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいに真剣そのものでした。
歴史、政治の話が長くなってしまいましたが、ナチスドイツの台頭と共にドイツは理不尽なベルサイユ条約破棄を宣言し再軍備を始め次々と破竹の勢いでヨーロッパの大半を占領下におく快挙を達成しました。
そこでやめておけばよかったのですが、ヒトラー総統は膨らむドイツの人口を支える領土を拡張する目的で軍隊を東へソ連の領土へと進攻させたためソ連製戦車と戦うはめになりました。
最初は敵は旧式戦車ばかりだったので苦戦することなく進攻しました。
しかし、その後は新型戦車(T-34中戦車、KV-Ⅰ重戦車、KV-Ⅱ重戦車など)が現れ苦戦することとなりました。
中でも大量に進撃して来る高い次元でバランスの取れたT-34中戦車にはドイツ軍戦車も圧倒され「T-34ショック」と呼ばれる一大衝撃を受けています。
この衝撃によって、その後開発されたドイツ製戦車はシルエットからして変貌を遂げ更に強力な戦車へと進化していきました。
T-34中戦車の良い部分をドイツ人なりに理解して出来るだけ取り込み開発されたのがⅤ号戦車パンターやⅥ号戦車ティーガーⅡでした。
T-34中戦車自体は数値的には圧倒的に強力な戦車というわけではなかったのですが、新しい考え方がたくさん盛り込まれており全ての項目が比較的高い数値で完成されていました。
1942年レニングラード付近を行く増加装甲付きT-34中戦車76mm砲搭載1941年生産型の写真を貼ります。
正面からの眺めはまるで山のような姿であり戦車としては正に理想的な外形で造られていたことが一目見ただけでも良く判ります。