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    2014/03/12(水) 09:19:57 ID:CjGvPOh.O
    世界中にその名前を知らしめた日本の零戦。
    それは良くも悪くも日本人の歴史と国民性を代弁している存在だといえます。
    零戦に代表される日本の軍用機の特徴は今なお日本に日本人に受け継がれている。
    その証拠に現在に至るまで日本人が作る様々な製品は同じような傾向を持っています。
    一例として上げるなら車でも家電品でもタフとは言い難いが軽量小型な割に燃費や消費電力が少ないものを作るのが得意。
    そのような日本を代表するような零戦のことを語るならば当然、当時日本海軍の零戦と双璧を成していた日本陸軍の一式戦闘機隼を語らないわけにはいかないので中島飛行機㈱の一式戦闘機隼そして次いでに二式戦闘機鍾馗についても書きました。
    しかし、そもそも一式戦闘機隼のことを書くならその前作の九七式戦闘機から始めなければなりません。
    中島飛行機㈱で開発されたキ27九七式戦闘機は同時期の三菱九六式艦上戦闘機(零戦の前作にあたる)と共に空前の成功作機となり、これらの成功により日本は世界水準を超える戦闘機を自分で作り出せるようになりました。
    日本はこの時期を境に研究用サンプル機以外の外国製戦闘機は一切輸入しなくなりました。
    輸入しなくてもよくなったといった方が正しいでしょう。


    その陸軍のヒット作戦闘機中島キ27九七式戦闘機の写真を貼りますね。
    ノモンハン事変でうようよ湧いて出て来る大量のソ連製戦闘機ポリカルポフI-15やI-16をバッタバッタと叩き落としまくりました。
    この時の陸上戦闘では日本が劣勢でしたが航空戦の空中戦では日本が優勢で圧勝していたといいます。
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    2014/03/12(水) 18:58:03 ID:CjGvPOh.O
    太平洋戦争直前から終戦までの間の主立った日本陸軍戦闘機は傑作機といわれた中島飛行機㈱の九七式戦闘機から始まり終戦間際の川崎飛行機のキ100五式戦闘機までとなります。
    これは試作段階のものを除く実際に使われた戦闘機だけでこれだけになります。
    僅か十年間で陸軍の戦闘機だけでもこんなにたくさんのものが開発され使用されました。
    平和な時代に比べると戦時中は技術が加速度的に急激な進歩を遂げるといういい実例です。
    敵と戦う毎に兵器を実戦使用するため不具合点が直ぐに浮き彫りとなり日々改良が繰り返されるため技術が急激な進歩を遂げるという流れです。
    今のような平和に溺れた時代では想像もつかない目まぐるしさだったと思います。


    参考資料として一連の陸軍戦闘機の写真を貼ります。
    上から中島飛行機のキ43一式戦闘機隼、キ44二式戦闘機鍾馗、川崎飛行機のキ61三式戦闘機飛燕、中島飛行機のキ84四式戦闘機疾風です。
    液冷式エンジン搭載機のため三番目の飛燕を除いて眺めると一式戦、二式戦、四式戦と中島飛行機製の戦闘機の発達の流れが良く見て取れると思います。
    軽量化に徹した一式戦、極端に大きなエンジンと小さな翼で一撃離脱戦法に適するよう苦心して作られた二式戦、大東亞決戦機と呼ばれエンジンの大馬力化と小型化の両立により巴戦にも一撃離脱戦法にも強い戦闘機を目指して苦闘しなが作られた四式戦。
    一見したところどれも同じように見られがちですが、よく見るとそれぞれの個性が輝いていて全くの別物同士でした。
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