• 19名無しさん
    2013/12/12(木) 17:42:48 ID:S2wih20gO
    戦争を始める時は資源の調達が継続して可能かどうかを真剣に考える必要性が必須です。
    特に戦略物資の他に非戦略物資であっても活用可能かどうかを考慮に入れておくくらいの慎重さが国の指導者には不可欠です。
    戦略物資である金属以外で非戦略物資である木材を使用して成功を収めた事例としてはイギリスのデハビラント・モスキートがあり強度と軽量化のバランスをうまく取ることに成功したため偵察機や夜間戦闘機としても一級品の軍用機になりました。
    ドイツ軍のメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190もプロペラブレードは木製合板と接着剤を多用していました。
    日本はというと戦争の旗色が悪くなった戦争後半に戦略物資が枯渇して来て遅ればせながら軍用機の木製化や鋼製化の試作機を造りましたが、普段から研究していなかったためノウハウが足りず失敗に終わりました。
    戦略物資と非戦略物資の調達を考えることは地味な裏方の仕事のようですが実は戦争の勝敗を大きく左右する事柄でした。
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  • 20名無しさん
    2013/12/12(木) 17:53:08 ID:S2wih20gO
    そういう意味合いもあり実はアメリカが1番恐れていた日本の兵器は和紙で作られた風船爆弾でした。
    冗談話のように受け取られがちですが、戦後アメリカ自身が公表した事実です。
    無尽蔵に作れて偏西風を利用するため推進動力要らずで爆弾以外の毒ガス兵器や細菌兵器にも積み替え可能であったためアメリカは本気で怖がっていたのでした。
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  • 21名無しさん
    2013/12/12(木) 20:35:23 ID:S2wih20gO
    厳密にいえば、使われていたのは和紙とコンニャクと縄(ロープ)でした。
    いずれにしても非戦略物資ばかりで構成されていたのは確かです。
    そして本当はハイキングをしていたアメリカ人の幼稚園児たちと先生が風船爆弾の被害に遭っていたのですが、被害の真実をまともに報道したら日本人が調子に乗って戦意高揚のプロパガンダに利用するとしてアメリカは箝口令を敷き報道官制を敷いて一切報道しませんでした。
    そのため日本では風船爆弾の効果は薄いとして大々的な打ち上げはしませんでした。
    しかし、真実を見抜き大々的な風船爆弾攻撃を実施していたらアメリカ本土のアメリカ人たちをパニックに陥れる効果は十分期待出来る兵器でした。
    風船爆弾によるアメリカ人被害者の記念碑は今もアメリカにあります。
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