• 365
    2014/03/24(月) 20:47:53 ID:s5i4wQpwO
    戦艦比叡は元々は巡洋戦艦であったため通常の戦艦に名付けられる旧国名ではなく山の名前である比叡山の比叡という名前が名付けられています。
    一応、姉妹艦になる金剛も榛名も霧島も同様です。
    金剛はイギリスのビッカース社に建造を依頼して輸入した艦でこれを最後に日本は外国からの輸入をやめ国産艦建造に乗り出して行きました。
    二番艦の比叡はその最初の国産建造艦となりました。
    しかし後々、各艦近代化改装を何度となく行う際に他の三隻には問題は起きなかったのに一番艦の金剛だけは穴を空ける時に使うドリルが折れて使い物にならなくなるということが発生しました。
    師匠であるイギリスが造った一番艦金剛を真似て姉妹艦を造ったつもりでしたが特殊鋼の装甲板を作る際の日本とイギリスの技術力の差が如実に表れた事例でした。
    二番艦の比叡は大和級戦艦建造の事前テストケースとして艦橋部分は大和級戦艦のような艦橋に改装されました。
    だから良く似ている(大和級戦艦の艦橋が比叡の艦橋に似ているといった方が正しいかも知れませんね。)ヘルシアさんが見間違えたのも無理もないことです。
    同じような事前テストケースは他にもあり空母大鳳や信濃の煙突一体型島型艦橋は客船改造空母隼鷹や飛鷹で事前に実用テストされていました。


    戦艦比叡と大和級二番艦武蔵の艦橋が良く判る画像を貼りますね。
    0 0
  • 366
    2014/03/24(月) 21:09:00 ID:s5i4wQpwO
    大和級戦艦建造の事前テストケースを務めた関係上、戦艦比叡だけは他の姉妹艦三隻とは違う姿の艦橋シルエットとなっていました。
    大和級戦艦の艦橋の事前テストケースだったため姿が似ているのはもちろんながら光学式測距装置やレーダーの配置や機能に至るまで機能的な配置も似ていました。
    いわば戦艦比叡を使って大和級戦艦の光学式測距装置やレーダーによる敵の探知、敵へのレーダー射撃なども研究していたようです。
    よく日本はレーダー射撃なんて到底無理だったといわれることが多いですが、テストもせっせと行っていたのが事実でした。
    只、惜しまれるのは当時の日本の電子部品は現在とは全く逆で壊れ易く信頼性という点では絶対とはいえなかったことです。
    大和級戦艦では射撃用レーダーとして二号二型電探(よく22号レーダーと呼ばれ紹介されることが多いラッパを二段重ねにしたような小型レーダーです。)を使っていたようです。
    0 0

人気の記事