ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型

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皇紀2600年を記念して、下1ケタをとり、零式戦闘機としたとか、
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月

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0さん、こんばんは絵文字絵文字絵文字
ドイツの水メタノール噴射装置、Ta152H型試作機知りませんでした絵文字
画像ありがとうございます、
全体的に細身ですね、

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ヘルシアさんこんにちは。(^O^)/
ちょっと人聞きは悪いのですけど戦争兵器のことを知ることは全ての道とまではいいませんがほとんど全ての道に繋がる知識を勉強することに近いです。
人は戦争をすることで歴史を積み重ね発展して来ました。
戦争を知ること戦争兵器を知ることはその過程で必然的に世界情勢、歴史、政治、経済、衣食住に繋がる知識にも触れることになります。
以上のことから人聞きは悪いけど戦争兵器を知ることは大変有益です。
私が勉強した限りでいうとドイツの兵器は陸海空いずれの場合も派生型が非常に多く、合理主義に照らしてその中から何かを選び選抜して生産を行う傾向が強いです。
その分、切り捨てられお蔵入りするものも多い。
話をフォッケウルフFw190〜Ta152Hに戻すと設計者のクルトタンク技師は設計技師でありなからパイロットという異色の逸材でメッサーシュミットBf109の補佐役としてフォッケウルフFw190を開発することになった時も希望するエンジンを供給してもらえないなどの政治的嫌がらせにもめげず立派に開発を成し遂げました。
戦争末期になってTaを戦闘機名に付けることが軍から認められたのはタンク技師の功労が認められた結果でした。


珍しいダクテットスピナー装備のFw190最初の試作機の画像と数多い派生型を省略し代表的なFw190シリーズの画像を貼ります。
開発は下から上への順番です。

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Fw190をベースにしてここまで変貌させ高性能にしたのは全く驚きです。
おまけに尾部には木製素材を使い幅広のプロペラブレードは多方向から木材を接着した合板を使用していましたからまた驚きです。

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0さん、ありがとうございます、
クルトタンク技師、設計技師でありなからパイロットBf109〜フッケウルフFw190へ、政治的嫌がらせ
ドイツ軍マニアには、たまらない画像でしょうね

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上の写真は、第72振武隊の特攻隊員達で子犬を抱くのは、若干17歳の荒木軍曹やな。
回りの隊員達も18歳から19歳までの少年飛行兵達で、昭和20年5月下旬、出撃前の僅かな時間に、写真の子犬の面倒を整備兵に託して機上の人となり 沖縄本島海域に特攻出撃、米駆逐艦に突入し、護国の英霊となられたんやな。
統率の外道と称された特攻作戦やけど、その攻撃により甚大な人的被害を被った米機動部隊のハルゼー長官曰く、彼我の戦力差を考えた場合、特攻作戦は最も効果のある作戦であったとの事やったな。

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皆さんこんばんは。
(゚▽゚)/
太平洋戦争の後半戦で日本の若者たちが自分の命と引き換えに体当たり攻撃で敵を倒そうとした神風特攻隊。
これを立案推進した軍の上層部の人たちの中にも無責任なままにしなかった人たちもいました。
今回はこのことについて書きます。
終戦直後、宇垣纏海軍中将は彗星三三に乗りアメリカ海軍の艦艇へ特攻をかけて最期を迎えました。
この件については若い命を従えて同行させ無駄死にさせたなどの批判の声もありましたが多くの若者を特攻させてしまった命令をした指揮官の立場として自分の命をかけてまで責任をとったその行いは他の軍上層部の連中に比べれば天と地ほどの差があり、偉い行いだと思います。
作戦としては外道としながらも特攻隊の立案推進をした大西瀧治郎海軍中将も終戦直後に切腹自殺をしました。
多くの若者を特攻させた責任をとっての切腹自殺であり介錯を拒んだため5時間あまり苦しんだ末に亡くなりました。
太平洋戦争当時、好き勝手放題なことをして特権を振りかざしてばかりの軍部の者たちがいた。
これは誰が何といおうとも事実です。
しかしそんな中にあっても物事を無責任なままにしなかった立派な軍人さんたちもいたことを忘れてはならないでしょう。


参考画像として
昭和20年8月15日、艦爆彗星三三型に乗り特攻して行った宇垣纏海軍中将、その直前写真。
大西瀧治郎海軍中将の写真。
大西瀧治郎海軍中将の切腹自殺を掲載した新聞記事。
を貼ります。

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このように特攻にかかわった人たちの命をかけた戦いのお陰で今の日本がある。
そう思うと手を合わせずにはいられません。


ちなみに命を引き換えに体当たり攻撃で相手を倒そうとする攻撃方法の世界的代名詞となった神風ですが、これを行ったのは日本が最初ではなく初めて行ったのはソ連軍でその名は「タラーン」奇しくも神風と似た嵐という意味でした。

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権兵衛さん、ありがとうございます、

第72振武隊の特攻隊員達子犬を抱くのは、17歳の荒木軍曹。
写真の子犬の面倒を整備兵に託して機上の人となり 沖縄本島海域に特攻出撃、米駆逐艦に突入し、護国の英霊となられた。↑↑
知りませんでした、感服です、「神風特別攻撃」は、世界では、賛否両論ある中で、我々日本国民は、特攻して逝った方々に対して……。涙が出て言葉がつまります、

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