ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型

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  • 1ヘルシア
    2013/11/06(水) 12:37:06 ID:O1rszpB6O
    皇紀2600年を記念して、下1ケタをとり、零式戦闘機としたとか、
    用途:戦闘機
    分類:艦上戦闘機
    設計者:堀越二郎
    製造者:三菱重工業
    運用者: 大日本帝国(日本海軍)
    初飛行:1939年(昭和14年)4月
    生産数:10,430機
    運用開始:1940年(昭和15年)7月
    退役:1945年(昭和20年)8月
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  • 696
    2014/10/05(日) 08:28:14 ID:QOJGLwDsO
    日本は明治時代から最初は欧米列強から初期の潜水艦を購入し、すぐにそれを参考にした国産潜水艦を建造し死亡者などを出しながらも試行錯誤を繰り返し潜水艦技術やノウハウの成熟に努めました。
    第一次世界大戦後はドイツの当時最新型だったゲルマニア造船所製航洋型Uボートを戦利品として手に入れドイツ人潜水艦技術者らを日本に招き教えを請うなどして更なる技術ノウハウの習得に努めました。
    その甲斐あって伊號潜水艦(大洋へ出かけ活動するための比較的大きめな航洋型潜水艦)、呂號潜水艦(近距離作戦用の中型の潜水艦)、波號潜水艦(比較的小型の近海沿岸用潜水艦)などトータル的には太平洋戦争当時合計190隻もの潜水艦を自力で開発→建造→運用していた経験実績があります。
    その中には世界各国に類を見ない日本独自の考え方で開発された伊號400型潜水艦という大型潜水艦もありました。
    この潜水艦は当時世界最大規模の潜水艦であり、戦後しばらくして誕生した原子力潜水艦を除く通常動力潜水艦の中ではつい2年ほど前まで世界最大規模の通常動力潜水艦でした。
    水中排水量は軽巡洋艦(軽巡洋艦といえば軍艦の中では戦艦の次の次に大きな艦艇です。)より若干大きいというビックサイズでした。
    このように大型に造った理由は航空魚雷1本もしくは800Kg爆弾1発か250Kg爆弾4発を搭載出来る特殊攻撃機を3機搭載し遠距離まで隠密で進出していきなり敵を急襲しよういう潜水空母的な構想を日本だけが持っていたからでした。
    日本本土から出港しても地球上どんなに遠い場所であっても行って帰って来れるだけの長大な航続能力も与えられていました。
    最終的には規模が縮小されましたが、当初の計画では1隻あたり特殊攻撃機を3機搭載したこのタイプの潜水艦を18隻建造する予定でした。
    仮に全艦が一緒に作戦行動に出れば作戦海域では僅か十数分という短い時間で何もなかった海中から突如として浮上した大型潜水艦群から合計54機もの特殊攻撃機が発進、奇襲攻撃して来るということになります。
    他国では考えもしなかった水中機動部隊でした。
    日本敗戦により伊號400型潜水艦を接収したアメリカ軍はハワイの真珠湾のドック内で詳しく調査した上でこれらの技術がソ連に知られたらマズイと慌ててハワイ近海で海没処分にしてしまいました。
    この伊號400型潜水艦の運用構想と技術に影響を受けたアメリカは大きな水密格納室を設けたグレイバック型という潜水艦を建造し、そこにドイツのV1飛行爆弾(現代の巡航ミサイルの元になります。)から技術を得て作ったレギュラス巡航ミサイルを格納、海中から急浮上したグレイバック型潜水艦から巡航ミサイルを発射するという戦法を考え出しました。
    この戦略思想が発展して現代の弾道ミサイル搭載型潜水艦が生まれ今の世の中に至っています。


    このような経歴を持ち、戦後も潜水艦の開発技術や運用ノウハウを磨いて努力して来た日本に対しドイツからライセンスを導入して数隻の潜水艦を持っただけで張り合おうなどと考えて吠えまくっている韓国人は勘違いも甚だしいと思います。
    それくらい程度の努力でベテランである日本と張り合えるのならどこの国でも苦労はしませんよ。
    5 0
  • 697
    2014/10/05(日) 09:08:42 ID:QOJGLwDsO
    太平洋戦争当時の日本海軍の魚雷は酸素魚雷と呼ばれて有名ですが、他国の魚雷に比べスピードも速く射程距離などは破格に長く魚雷の航跡もほとんどなく炸薬量も多かったためかなり強力な武器となっていました。
    あまりに長い射程距離だったため浜辺にまで到達して乗り上げたものが敵国に回収されたりもしましたが純酸素を使用する魚雷は取り扱いが難しく大変危険だったためどこの国も真似て造ることが出来ませんでした。
    この点は何度も何度も爆発事故などを起こしたくさんの尊い人命を失いながらも確立した運用ノウハウと熟練の管理方法に長けた日本人の優れたところでした。
    そういう精神や技術や運用ノウハウが継承されてか現在の海上自衛隊の魚雷もかなりの凄いものらしいですよ。
    軍事機密のため詳しいことは非公開ですが取り扱いが難しい酸素と水素を動力源としていてスピードも速く射程距離も長いようです。
    セールスポイントはかなりの深海まで使用出来て敵艦の下に潜り下から上に向けて命中するため狙われたら回避が困難なようです。

    軍備増強著しい中国や韓国ですが、派手な装備の分野ではなく、意外と地味な分野の機雷や魚雷といったものの基本性能の格差によって勝敗は決まるかも知れません。
    経験と実績の差です。
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  • 698ヘルシア
    2014/10/09(木) 14:38:44 ID:FkePzBn6O
    0さん 潜水艦すごいですね、
    私は、全く潜水艦は知りませんでした

    真珠湾攻撃のさい、
    深く沈まない魚雷を開発 (真珠湾浅いから)

    それぐらいしか

    映画
    「真夏のオリオン」
    「頭上の敵」
    ですね、

    私の趣味は
    日本史(戦国時代)
    絵画、焼き物、日本刀
    映画は戦争物 時代劇
    尊敬する人物
    山本五十六
    真田幸村

    腹がたつのは
    北朝鮮の拉致
    中国や韓国のコピー販売いずれも大きな犯罪者

    0 0
  • 699ヘルシア
    2014/10/09(木) 15:07:17 ID:FkePzBn6O
    最近のニュースで

    日本が 戦闘武器それに係わる機械等を、輸出出来るように、法律改正されたようで、
    ただし、現在の戦闘国は 輸出禁止、

    各国の 展示会があり
    日本は、地雷破壊 暗唱レンズ(かなり遠くまで明確に)価格は1千万円位だそうで、
    日本の優れた技術に
    世界が注目されています
    0 0
  • 700
    2014/10/20(月) 23:06:19 ID:kNNk85x6O
    旧帝國海軍の『伊號400潜型潜水艦』と特殊攻撃機『晴嵐』ついて書いておきます。
    『伊號400潜型潜水艦』
    排水量5223t、水中排水量6560t、全長122m、全幅12m、特殊攻撃機『晴嵐』3機搭載、乗員157名、14cm砲1基、25mm3連装機銃3基、25mm単装機銃1基、魚雷発射管8基、機関出力7700馬力、モーター出力2400馬力、最大速度(水上)19ノット、(水中)6.5ノット、水中航続距離90km、最大水上航続距離14ノットで37500浬、連続行動日数120日と言う当時としては世界最大の潜水艦でした。
    伊號400潜型潜水艦の搭載機用格納筒内部は直径3.5m、全長30.5mで専用の愛知 十七試特殊攻撃機『晴嵐』を3機格納可能でした。
    搭載機を迅速に発進させる目的の暖機設備(予め温めた油や冷却水を晴嵐に補給しておく為の設備。)も搭載されていました。
    艦首部には搭載機(特殊攻撃機『晴嵐』)発進用のカタパルトがあり、この射出用カタパルトは長さ26m、圧搾空気を利用し68ノットの射出速度で搭載機の射出が出来ました。


    愛知 十七試特殊攻撃機M6A1『晴嵐』
    昭和18年11月に完成、計画では36機以上生産予定でしたが合計26機生産。
    全長10.655m、全幅12.262m、全高4.58m、全備重量4250kg、翼面積27.0×2、ダイムラー・ベンツDB601Aのライセンス生産版 愛知『熱田』二一型AE1A離昇出力1200hp/2500rpmの改良版『熱田』三二型AE1P液冷倒立V型12気筒エンジン 1340馬力を搭載、最大速度474km/h.(緊急時にはフロートを投棄すれば最大速度560km/h.零戦とほぼ同程度の最大速度)、航続距離1540km、上昇力:高度5000m迄8分、実用上昇限度9640m、武装は13mm後席旋回機銃×1、爆弾/魚雷(直径45cmの92式改3航空魚雷を使用):800kg×1、若しくは250kg×4、水平爆撃と急降下爆撃も可能。
    潜水艦浮上後から所要時間20分で最初の機体が発進可能。
    乗員2名と言う仕様/性能の機体でした。
    0 0
  • 701
    2014/10/20(月) 23:48:46 ID:kNNk85x6O
    ↑この伊號400型潜水艦の航続距離からいうと日本から出港して地球上のあらゆる海域まで進出して作戦を行い再び日本へ帰ることが出来るということであり、原子力推進機関や潜水艦発射型弾道ミサイルなどは開発されておらず世界のどの国にも存在していなかった当時としてはこの日本の伊號400型潜水艦は当時実現し得るすべての技術を現実のものとした戦略兵器の元祖的な存在でした。
    それゆえにこの潜水艦を詳しく調査したアメリカはこの技術がソ連に伝わることを恐れ全艦海没処分にしてしまいました。
    参考資料として
    ・伊號400型潜水艦とアメリカのガトー型潜水艦とドイツのUボートC型潜水艦の比較図
    ・キール近郊のラボーに陸上展示されているUボートC型潜水艦U-995
    1941年大西洋で活動中Uボート型潜水艦
    ・UボートC型潜水艦のカッタウェイ模型
    の一枚。
    ・太平洋戦争終結後ハワイの真珠湾のドックに入れられアメリカによる詳しい調査を受ける伊號400型潜水艦
    ・現在は復元されてアメリカのスミソニアン博物館に展示されている特殊攻撃機『晴嵐』
    ・昭和20年9月広島県呉軍港での伊號402潜水艦
    の一枚。
    ・伊號400型潜水艦のカッタウェイ模型
    を貼っておきます。
    0 0
  • 702
    2014/10/21(火) 03:27:36 ID:wr6Pswl2O
    後から気付きました。
    ↑添付画像にも書かれている通りドイツの潜水艦はUボートVII C型(ローマ数字の七のC型)と書いたのですが、このいつもちゃんねるのシステムでは文字変換から選んだローマ数字の七は正常に反映出来ないようです。
    アルファベットでVとIとIを一回一回選んで並べないとしかたがないようです。
    不便ですね。
    0 0
  • 703ヘルシア
    2014/10/22(水) 02:02:45 ID:WWw/QLmQO
    0さん。
    いつも画像ありがとうm(__)mです、

    詳しく、感謝です
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  • 704
    2014/10/24(金) 22:56:02 ID:wn6whiMwO
    こんばんは。(^O^)/
    どう致しましてm(__)m
    下手の横好きでやってることですから

    要するに被害死亡者なども出しながらも百年近く技術開発と運用実績を積み上げ努力し、このような個性的且つ斬新な潜水艦と搭載特殊攻撃機などまで実用化していた日本に対し対抗心を剥き出しにして敵対的態度をとる韓国人なんぞは身の程知らずというか、百年以上早いわということです。
    韓国人のみならず中国人もしかりですが、とかく先進諸外国の技術を盗んで来たり借りて来たりして寄せ集めの自称国産兵器で軍備を拡大し日本を恫喝するような振る舞いが増えて来た昨今。
    所詮、借りて来た他人のフンドシでは高い能力は発揮出来ないということです。

    インド洋作戦当時の昭和17年4月、発艦して行く搭載艦上機から撮影された空母『赤城』の画像を貼ります。
    後部飛行甲板上に待機中なのは残念ながら零戦ではなく愛知飛行機の九九式艦上爆撃機です。
    太平洋戦争の前半戦では欧州戦線のドイツ軍のユンカースJu87スツーカと並び強力な兵器として名を馳せていました。
    7 0
  • 705
    2014/10/24(金) 23:21:19 ID:wn6whiMwO
    九九式艦上爆撃機もJu87スツーカも艦上機と陸上機という違いはありますが、同様な戦法を使う急降下爆撃機です。
    急降下爆撃機とはコンピューターなどなかった時代に熟練したパイロットの飛行技術の腕で爆撃目標の頭上に急降下して爆弾を当てる現代でいうところのピンポイント爆撃を行う軍用機でした。
    日本海軍航空隊の場合インド洋作戦当時が一番あぶらがのりきっていてピークの絶頂期だったといわれ80%を超える高確率で爆弾を命中させており狙われた敵艦船はほとんどお陀仏だったようです。
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