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    2014/06/29(日) 14:08:38 ID:CJGCYBTMO
    ・中国大陸上空を飛ぶ海軍第12航空隊の零戦一一型
    ・1940年9月13日、中国大陸の重慶上空で初陣を飾った後、漢口基地に戻った零戦搭乗員たちと第12航空隊幹部の記念写真
    を貼ります。


    中国軍戦闘機部隊は日本軍の戦闘機部隊と空中戦をするのを避けて空中退避を繰り返しており(日本軍戦闘機が居ないと日本軍爆撃機を攻撃して来るくせに日本軍戦闘機が現れると直ぐに逃げていた)零戦部隊は出撃していたものの三回も中国軍戦闘機部隊に逃げられていました。
    そして、四回目にしてやっと中国軍戦闘機部隊との会敵を果たしました。
    日本軍部隊が攻撃終了後に帰ると見せかけ、長い航続距離能力を持つ零戦部隊は再び重慶上空へ引き返し、ちょうど安心しきって帰って来た中国軍戦闘機部隊を捉えて空中戦が始まりました。
    中国軍戦闘機部隊はもちろん国産戦闘機などは持たずソ連製戦闘機ポリカルポフI-15とI-16の混成戦闘機部隊合計27機、対する日本軍戦闘機部隊は零戦一一型合計13機、僅か30分あまりで中国軍戦闘機部隊は全機撃墜され日本軍戦闘機部隊は4機被弾したのみで撃墜されたものはゼロという圧勝でした。
    この時の話で、良く当たり難いといわれる20mm機銃弾が敵戦闘機に命中した場合が凄かったといいます。
    命中したら敵戦闘機の機体自体が吹き飛んだといわれています。
    20mm機銃弾は弾自体が重く発射する戦闘機が空中戦で小回りを利かせ飛行しながら発射するため重力や重力加速度(G)の影響を強く受けるため弾自体が真っ直ぐは飛ばず放物線を描いて飛んで行くため狙った敵戦闘機に命中させるには熟練したコツが必要だったといわれています。
    零戦の歴戦のエースパイロットだった坂井三郎氏によると20mm機銃弾を敵戦闘機に命中させる場合は先ず照準器のレチクルから敵戦闘機の姿がはみ出すくらいに接近すること、そして発射の際には絶妙のタイミングで一瞬だけ機首を引き起こすこと、こうしないと普通に射撃していては絶対に命中しない。
    そしてモタモタしているうちに装備弾数が少ない20mm機銃弾(初期の型だと1門あたり60発しか装備出来ませんでした。)は直ぐに撃ち尽くしていまう。
    といわれていました。
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  • 619
    2014/06/29(日) 14:28:02 ID:CJGCYBTMO
    零戦も改良型が造られる度に搭載する機銃の種類も様々何度となく変更されました。
    そして実際に零戦を操縦して命をかけて戦うパイロットたちを悩ませたのが搭載する機銃は数種類なのにそれに使う照準器は1種類だけしか搭載されていないということでした。
    弾の大きさや重さが違うと飛んで行く弾道特性はまるで別物になります。
    どれか一つに射撃精度を合わせるとその他の種類の弾は射撃精度が曖昧になるからでした。
    その点は各戦闘機の装備機銃を直進弾道性に優れた12.7mm機銃に統一していたアメリカ軍は賢かったし羨ましかったと坂井三郎氏は語っていました。
    ただアメリカ軍の12.7mm機銃弾(ブローニングだったかな?)には炸裂するタイプの弾がなかったのが一つだけ問題点だったという話があります。
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  • 620
    2014/06/29(日) 14:40:33 ID:CJGCYBTMO
    ブローニングの12.7mm機銃はいろいろな国で改良版などが造られていたそうで日本でも陸軍と海軍が別々にですが、ブローニングの12.7mm機銃を参考にした機銃を造り使用していました。
    弾の大きさは微妙に異なり12.3mmとか13mmとかでした。
    しかし、特筆すべき点は世界で唯一日本の弾だけは炸裂弾が造られていた点でした。
    初期の頃は暴発や不発などがありましたが、陸海軍共同で改良に取り組み信頼性は向上していました。
    この機銃を統一装備すれば良かったのにと惜しまれます。
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  • 621
    2014/06/29(日) 23:11:14 ID:CJGCYBTMO
    昭和16年5月26日、黄河中流域の運城(ユンチョン)を出発し、西方約400kmに位置する中国軍根拠地南鄭(ナンチェン)を攻撃するため編隊飛行する海軍第12航空隊の零戦一一型(零式一号艦戦一型)。
    胴体に2本青帯の3-141号機は分隊長鈴木実大尉乗機、3-136号機は中仮屋国盛三飛曹乗機
    の当時の写真をカラー化したものを貼ります。
    私のお気に入りの一枚です。
    中国大陸に進出していた帝國海軍第12航空隊、通称12空の零戦の塗装は全体は現用飴色そして胴体の国籍マークのあたりから後ろは明るい灰白色で塗装されていたのが特徴です。
    良ーく見ると色の微妙な違いが判ります。
    白黒写真でも良ーく見ると色のトーンの違いが判ります。
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  • 622
    2014/06/29(日) 23:25:43 ID:CJGCYBTMO
    ↑この頃の零戦は最初の量産型であるA6M2a一一型で、その後太平洋戦争初期に空母機動部隊や陸上基地から運用された零戦二一型A6M2bは外見はほとんど同じでしたが、機体全面が明灰白色一色で塗装されていてその点を見れば記録写真も区分けがつきます。
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