ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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零戦の場合
・7.7mm機銃では1丁あたり700発
・20mm機銃では1丁あたり当初は60発、改良されて100発になり、更に改良されて125発
・13mm機銃では1丁あたり240発
という弾数が搭載出来たといいます。
威力と扱い易さと搭載可能弾数を総合して考えると当時アメリカ軍が12.7mm機銃を統一装備することを選んだのはとても賢い選択だったと思います。
零戦のエースパイロットであった坂井三郎氏が当時のアメリカ軍戦闘機の搭載機銃を羨ましく思っていたのもうなずける話です。
命中すれば威力絶大であっても命中させることが出来なければ重たい重量物でしかない。
直ぐに弾切れになってしまうようでは後は重たい重量物でしかない。
という実際に使用した当事者の言葉にはリアルな説得力がありました。
坂井三郎氏が撃墜した多くの敵戦闘機は20mm機銃によるものではなく、搭載弾数が多く弾道直進性が良く命中させ易い7.7mm機銃によるものだそうです。
しかし、炸裂弾が無い7.7mm機銃弾では命中させ易い反面なかなか敵戦闘機は撃墜出来ないという現実があり、よほど良い場所に命中させ、たくさんの弾を撃ち込まない限り撃墜は難しかったといわれています。 -
非情なことですが、戦争するということは「やるか、かられるか、です。先にやらないと自分や戦友がやられる。」
致命傷を与え難い7.7mm機銃弾で敵戦闘機を確実に撃墜するためには「それなりの技量が必要だが敵戦闘機の燃料タンクかパイロット自身を狙い撃ちすること」と語っていたのは零戦のエースパイロットだった坂井三郎氏でした。
しかし、敵戦闘機の防弾装備が強化されてくるとそれも難しくなったいったそうです。
なかなか難しいものです。そうなるとやはり炸裂弾を敵戦闘機の弱い部分に命中させることが一番の策だということになるのでしょうかね。
戦争というものは本当に非情なものです。
出来ればしないのが一番です。 -
0さん、詳しくありがとうm(__)mです、
恥ずかしい質問ですが、笑わないで下さい
0さんの上記の画像で
7、7㍉のプロペラの、うしろにある 機銃、
発射すると、自分のプロペラを撃ってしまう
事はないのかなぁ?
むっちゃ恥ずかしい、
昔から 疑問に思ってた
もんだから、
(〃▽〃) -
ヘルシアさんの疑問への返事です。
世界の戦闘機開発の歴史の中で第一次世界大戦当時からプロペラに装甲を施し防弾化したり、プロペラの動きに機銃の動きを同調させる同調装置を搭載したり、という経緯があったことは私も昔から知っていましたが、おぼろげな記憶でしかなかったので少し調べてみました。
先ずは第一次世界大戦から兵器として使われるようになった飛行機は最初は偵察程度の任務しかありませんでした。
次に敵地上空から爆弾を落とす任務が与えられ、こんな攻撃を受けるようになるとこの手の敵機を撃墜することを主な任務とする戦闘機が必然的に生まれました。
戦闘機が出現以降も出来るだけ確実に敵機を撃墜出来る戦闘機を目指し改良が繰り返されました。
その中の一つに撃ち易く敵機に命中させ易い機銃の装備方法の模索というのがあり、どこの国でも試行錯誤を繰り返していました。
その中で1915年にフランスのモランソルニエが同調装置は着けずプロペラに装甲を施し防弾化して強引に機首から射撃を行うタイプのモランソルニエNを開発し実戦投入しました。
命中させ易い位置からの射撃という新しさからしばらくの間は向かうところ敵なしの状態になりました。
しかし、このモランソルニエNも撃墜される機体が出て来て墜落した機体は敵国ドイツ軍の手に渡ることとなりました。
このモランソルニエNは補助翼(エルロン)を持たず、たわみ翼として造られた主翼を捩って機体の傾きを変える少し変わった戦闘機でした。
結局49機しか生産されませんでしたが、少数機がイギリス軍やロシア軍でも使われました。
参考資料を貼ります。
・装甲化したプロペラを示す図解
・モランソルニエNの機首部分アップ写真
・モランソルニエN側面写真
です。
↓次はプロペラ同調装置について -
オランダ人アンソニーフォッカーは撃墜されたフランス軍のモランソルニエNの墜落機体調査に参加する機会を得て弾丸が通過したプロペラの接触面に直ぐに気が付き、それから僅か数日後にはプロペラ同調装置の戦闘機への搭載を思い付いたといわれています。
それからアンソニーフォッカーはプロペラの動きに機銃発射のタイミングを同調させる同調装置(プロペラが機銃前面に来ていない時に合間をぬって機銃弾を発射する同調装置)を搭載したフォッカーEⅢアインデッカーを開発しドイツ軍の前で実演して見せました。
これを見たドイツ軍は一応事実には納得したものの実際の空中戦の際はGがかかるため、そんな時でも確実に作動するのか懐疑的な目で見ていました。
そこでアンソニーフォッカーは彼自身は軍人ではありませんでしたが、自分自身がフォッカーEⅢアインデッカーに乗り込み操縦して出かけ空中戦での確実な作動を実演しフランス軍の偵察機を撃墜して来ました。
これによりフォッカーEⅢアインデッカーはドイツ軍に採用され1915年〜1916年にかけては向かうところ敵なしでした。
参考資料を貼ります。
・プロペラ同調装置を示す概略図
・フォッカーEⅢアインデッカーの写真 -
これ以降、世界各国が開発する戦闘機には同種のプロペラ同調装置が搭載されるのが当たり前のようになりました。
細かな部分は部品類の発達により変わっているはずですが、基本的には同種のプロペラ同調装置を世界各国が模倣し開発して搭載するということが一般化しました。
日本の戦闘機そして零戦も例に漏れず同種のプロペラ同調装置を搭載していました。
ヘルシアさんの疑問は誰しもが思う素朴な疑問ですから何ら変に思うことは無いですよ。 -
何の分野でも同じことがいえます。
今は当たり前のように思われる便利な飛行機の存在も一見聞いたらそんな馬鹿な危ないことするの?と思われるような技術開発にも自分たちの命をかけて挑んだ昔の人たちの挑戦がたくさんあったからだということ。
今に比べると昔の場合は次から次へと出て来る個性的な技術の移り変わるスピードが早かったようです。
戦争の期間があったのも技術開発のスピードを早める一大要因でした。
今の技術者の方々も命懸けで開発に取り組んでおられると思います。
複雑な戦闘機の飛行制御をコンピューターに任せるなんて一歩間違えば墜落し死亡しますから、そんな技術開発に携わっている技術者やパイロットの方もいらっしゃると思います。
そんな心血を注いで獲得した技術は大切にしないといけません。
日本の場合は特に韓国人や中国人に盗まれないように気を付けておかないといけませんね。
国防にも関わる大事なことですから。 -
0さん、さすがです
プロペラ同調装置という機械でしたか
フォッカーEⅢアインデッカー
ものすごいスピードでプロペラが回転する中、
そのプロペラの合間を通って撃つ
プロペラ同調装置
素晴らしい
映画でよくある 第一次大戦時の飛行機で
うしろの座席の方が
爆弾をてにもち、下へ投げている 場面をよく見かけます、
また 車輪の大きい事
零戦はその車輪を格納するようにした とか、 -
オランダ人アンソニーフォッカー
すごいなぁ、 -
もし私が、プロペラ同調装置が搭載される 戦闘機 に乗っていい、と
言われても
怖くて 7,7㍉は 撃ちきらないです、
アンソニーフォッカーさん、ごめんなさい
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月