ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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0さん、権兵衛さん、全部読ませて頂きました、0さんムービーありがとうm(__)mです
素晴らしい
権兵衛さん、さすがです、
ここで
『永遠の0』の著者
百田尚樹 ベストセラー誌から、抜粋です↓↓
何故零戦は日本人の魂を揺さぶるのか?
零戦は日本の文化 あるいは考え方を象徴していますと言うのは、名人が造った戦闘機、名人が設計して名人の職工がつくり、
なおかつ、それを乗りこなすのは、名人パイロット、
たとえば、零戦のライバルと言われる、アメリカの
グラマンなんか、プラモデルみてもわかるんですけど、不細工でしょう、
まぁ美意識の問題も多少ありつつ、
日本の零戦と比較すると
よく言われるのは、
零戦は直線が無い ということ、どこを見ても直線が無く 凄く美しい若干のカーブで仕上げています
しかしカーブは飛行機をつくる場合にはかなり厄介です、
鉄板を切るのにも 直線に切るのは簡単ですが
カーブを切るには技術がいります、相当腕のいい職人じゃないと、アールを綺麗に切れない、
零戦の翼を見てください
本当に美しいカーブです
所が、グラマンなんかは直線ばかりでアメリカは、つくり安さを考えているんです、理想的なカーブを描くほど性能はいいのは、解っているけど、その為には一流の職工がいると、直線の方が早く出来るだろう工場単位で考えると より性能の良いカーブを使って、1ヶ月に1000機出来るのと、
もっと簡単に直線を使って1500機 できるんだったら多少性能や 見かけ が落ちても、数が多い方が戦争には勝てる、のではないか、というのが、アメリカさんの考え方、なおかつそういう作り方だったら、一流の職工じゃなくても
普通の職工でも出来るのじゃないか、と
じゃ日本の考え方といえばつねに際高級品のものを
つくろうという考え方なんです、設計者も職工も一流の方を集めて時間をかけてでも作り上げる、
そんな風に造った飛行機ですから、それに乗るのも一流となるし、その零戦に憧れて零戦パイロットになろうとするわけです
零戦は、日本人の国民性が現れています、だから飛行機の性能はグラマンより上、でも 1機に対するコストパホォーマンスを考えた場合
はたして零戦の方が上かどうか、 -
お値段はと言うと本体価格のみで零戦二一型(三菱製)が約55000円(生産開始当初は約82100円)、中島製で約69000円。エンジンや搭載兵器などのオプションを含めると三菱製が約149787円、中島製が約163787円だったそうです。
勿論これは量産当時の価格なので2007年の価格価値との差で言えば当時の1789倍にもなるようです。
これに基づき換算すると三菱製零戦は約2億7000万円。
当時の軍用機同士で比較すると零戦の前身である九六式艦戦が約84331円。
九九式艦爆が約168950円。アメリカのノースアメリカンP-51ムスタングが約230405円。
4発重爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスが約2726458円だったそうです。
単純に比較は出来ませんが開発時期は違っても実際に戦闘を交えた戦闘機同士で考えると零戦とP-51、その国家が1機の戦闘機に投入出来た金額の差、アメリカと日本 彼我の裕福さの違いを実感する気持ちになります。
参考までに2007年時点で現在航空自衛隊の主力戦闘機ボーイングF-15イーグルが1機120億円、アメリカの最新鋭ステルス戦闘機F-22ラプターは1機141億円だそうです。
注)2007年時点での換算資料しか持ち合わせていなくて済みません。
それからF6Fヘルキャットの価格についても判りませんでした。
申し訳ありません。
m(_ _)m
只、これらの事実からいえることは戦時中の日本製軍用機は総じてアメリカ製軍用機より遥かに低価格であったということがいえます。
お金の損得でいえば高価なアメリカ製軍用機が日本製軍用機に戦いで勝っても当たり前であり、逆に低価格の日本製軍用機に戦いで負けた場合はアメリカは大損だったということでしょう。
日本製になると高価になってしまう今の日本製軍用機とは全く逆転現象です。 -
一部間違えました。
ごめんなさい。m(_ _)m
アメリカの最新ステルス戦闘機F-22ラプターの価格は141億円ではなく、241億円でした。
おそらく現在世界一高価な戦闘機がF-22ラプターだと思います。 -
アメリカ製と日本製の兵器価格の差は当時のアメリカと日本の通貨価値の差だと思います。
太平洋戦争開戦当時のアメリカ合衆国と日本の国力(各種生産能力を含む総合的な国の力)の差は少なくとも20対1以上ありました。
国力の差イコール通貨交換の価値の差といえるでしょう。
人件費も日本人の方が遥かに低賃金だったということになります。 -
零戦が開発された経緯の一つとして長距離進攻作戦に従事する為の性能要項と言われてるけど実際は、艦隊上空を6時間以上に渡り哨戒し、襲来する敵攻撃機を撃破するもので20ミリ機銃装備もそれに合致した指示やってんな。
つまり空母に搭載するための戦闘機で当初は千機程度の生産と見積もられていた為、コストの高い大型金型を用いる事なく熟練工員達による
手作業に近い工法で
工芸品のように製作されていたんやな。
各工程の要所には神業級の技術を持った職工が腕前を発揮しそれに倣うように熟練工員が従事しとった訳やな。
アメリカと比べあらゆる根幹となる基礎工業力が劣る日本では洗練された設計により、複雑なアールを描こうとも鋭い空力特性を追及するのが必須やったんやろな。
アメリカの航空技術を急速に吸収していった日本の技術者達はアメリカの底力を熟知し、自ずと身を削るような創意工夫
の後に誕生したのが零戦なんや。
余談ながら零戦はレイセンと呼ぶのが正しいとする向きもあるけど、海軍では普通にゼロセンと呼ばれていたんやな。
これは戦前でも一般的に0をゼロと言うのが普通やったからやねんな。
零戦のエンジンを起動する時の掛け声は英語が用いられてるし、英海軍をお手本とする海軍自体が英語を多用しとったんやな。
せやから零戦を正しくはレイセンと呼ぶんやと言うのは、エセマニアっ言うこっちゃな。
まぁ一時期にせよ米戦闘機を凌駕した大空の王者零戦は、老いたり言え質量共に優勢な敵機に善戦を重ねたその勇姿の滅びの美学に琴線が触れるかも知らんな。
しかし滅びの美学で終わらんかったんが零戦の零戦たる所以なんや。
零戦開発に従事した技術者や関連会社が戦後、失われた大切な珠玉を取り戻すかのように日本の復興に尽力し、技術立国として今に至る訳や。
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0さん、明らかに国力の差ですね、
権兵衛さん、零戦は素晴らしい工芸品、ですね
ここで、零戦とは関係ありませんが、以前の軍カテゴリーで投稿しましたが
再度
画像は国産の『九四式自動拳銃』です、
他国の自動拳銃ガバメントやワルサーも良いけれど、私は なんといっても、心が奪われます、
見た目はカッコ悪いと思うかもしれませんが
我々日本人の心にジーンと訴えかける、何かを持っている拳銃だと、私は思います、
この銃が開発されたのは、1934年(昭和9年)ということですが、34式という名称にはせず、
皇紀2594年からとった、94式にしたところなんかはさすが日本人です、
また銃左側に『式四九』安全装置に『火安』と刻印されているのがたまりませんね
現在 アメリカのヴィンテージガンショップでは
かなり高値で展示してあるそうです
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ヘルシア、0の両氏による零戦談議にワイも引き込まるようにしゃしゃり出たけどなかなか興味尽きることは無い感じやな。
ところで日本軍の小型拳銃の事やけど、サンディエゴ軍港の近くにミリタリーショップがあるんやけど広大な敷地の中に航空機の部品や機体等が野外に置かれ、そこの建物の一角に機関銃や多種に及ぶ火器が展示されてあり日本軍のコーナーも設けられ、38式歩兵銃や南部14式拳銃が飾ってあったけど、親父さんの代からミリタリーショップを経営してるとのオーナーの話しの中で、昔は日本軍の銃器や軍用品は大量に在庫があって価格も非常に安かったそやけど当然、供給が無いので価格が急に上昇しているとの事やったなぁ。
発射機能の損なわれた南部14式があって真剣に購入を検討したけど機能が損なわた状態でも実銃を日本に持ち込むのは、繁雑な手続きが必要
で諦めた事があったんやな。
後はドイツ軍のコーナーには新品のワルサーP38が重厚な宝石箱のような木の箱に入った状態で飾られてあり、功績を上げた将兵への戦功品らしいけどオーナーが気に入って非売品との事やったなぁ。
ワイの拙い英語に身振り手振りで受け答えしてくれたオーナーに好感を覚えたので、ドイツ軍のヘルメットや勲章やハーケンクロイツの旗とかを購入したらSSの刻印が入ったスプーンをオマケに貰ったけど、あの商売上手のオーナーは元気にしとるやろか。 -
ほな銃器の話が出たところで零戦の機銃に付いてウンチクを言うたろかいな。日本海軍が選定、採用したエリコン20ミリ銃に対しての批判は著名な零戦搭乗員 であった坂井三郎氏による発言が影響しとる訳やな。
低伸弾道で60発の弾丸しか搭載できない20ミリ機銃は戦闘機用としては欠陥品扱いに近い旨の発言が見られたけど、海軍戦闘機の主要兵器として順次、改良されて行き、二号艦戦、則ち零戦32型に搭載された二号20ミリ銃は現地部隊より破壊力大と評価され、より高速化した零戦32型と共にその部隊配備を切望されていたんやな。
防弾強固な米軍機に対しては炸裂弾の装備された20ミリ銃が最適だと思われ又、零戦の開発目的は巷で言われような長距離進攻用では無く実際は艦隊上空を長時間、哨戒及び来襲敵機を迎撃する旨で開発されたのは前回で説明したけど、その要項には高速化した敵攻撃機には破壊力の大なる20ミリ銃を持って要撃するとああったんやな。これは先見の目があり、大戦後半の特攻作戦で防弾装備された特攻機への迎撃で米軍装備の12.7ミリ銃では有効弾を与えてもそのまま突撃するので威力不足が報告されいたんやな。
一方、本家のエリコン社でも実現、出来なかったベルト給弾化を実用化した日本海軍は20ミリ銃を有効な兵器と認識していたので逐次、改良を加え優秀な航空機関銃として育成、正常進化させたんや。
台南空やラバウル基地の専任搭乗員(士官以下の搭乗員の長)であった坂井三郎はガダルカナル進攻作戦で片目失明の重傷を負いながらも辛うじてラバウル基地に帰投したその不屈の精神力は評価に値するも、それ以降の激化する米軍機との死闘は経験しておらず内地で入院加療中の間に零戦は32型、22型、52型と移行しそのつど戦闘力を強化して行ったけど、退院後に再び搭乗員として復帰し零戦52型を操縦した時の所見では、運動性が低下し零戦本来の戦闘力が損なわれたとの事やったんやな。
しかし空戦の実相は高性能化する米軍機に対し21型では抗し難く早期に二号20ミリ機銃搭載の52型の部隊配備を切望するとの意見が部隊から出てたんや。
その後、雷電や紫電改に搭載された99式二号20ミリ機銃は逐次改良を加えられエリコン式では日本海軍だけが実現させたベルト給弾により一門、250発の搭載が可能となり防弾強固な米重爆にとっても、炸裂弾装備の20ミリ4門の射線は脅威そのものやったんや。
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ほんでや米軍機の標準装備であるブローニング12.7ミリ機銃は、これまた陸軍から艦艇まで多用に採用された傑作品とも言える機銃でエリコン20ミリ機銃と共に原形誕生から100年近く経つの逐次改良に改良を加え、未だ現役と言う優れものやな。
ブローニング機銃は旋回のGで装弾不良になる事が頻繁に発生する事やエリコン機銃に比較すると重量が重いという点もあったけど、良好な直進弾動性と発射速度の点が優勢で日本機のそれより優れた照準器の装備と相まって防弾性の低い日本機にとっては恐るべき兵器やった訳やな。
まぁブローニング機銃とエリコン機銃は敵味方の双方で多用された一つを見ても歴史的な名機銃という感じやな。
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権兵衛さん、
私も三度アメリカに行きました、
国民が拳銃やライフルを持てる国です、
必ずコンビニねレジーの横には、拳銃が忍ばせてある国で、恐ろしい国です、
坂井三郎
『大空のサムライ』
ガダルカナル上空で被弾したあと、1000キロ決死の飛行機
戦後、1987年訪米
ワシントン州航空ショーで、71歳の零戦パイロット坂井三郎が 見事なスタントをやったと関係者を驚かせた、とか
坂井三郎画像二枚と
最後の画像は 極東空軍だったフランクカーツ大佐、 零戦に乗った坂井が、B17を撃墜する様子を目撃した、とあります
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月